2010/09/25

波長ヲ合ワス / breeze

インディアン居留地(2001)


波長ヲ合ワス (Sep/09/01)

スコシダケ
クタビレタ晩ハ
風ノ唄デモ聴キナガラ
夜ニ
波長ヲ合ワス

アノ
星ヲ隠シタ
ヤミノ内 へ
ヤシシイ ヤミノ家 ヘ

ムダノナイ
空(くう)の
ココヲ放チ
波長ヲ 合ワス
コノ夜ニ
波長ヲ合ワス

脳ミソヤト
胃ブクロマデ
足クビガ反リ返ル
モシ
マゴコロ在ルナラ
滑リ込マセテ居タイ
ソコニ 滑リ込マセテ居タイ

ヒトリデニ浮カビ
ヒトリデニ bye
カラダノコトヲ忘レ
内ヲ外ヘ
外ヲ内へ
ヒックリ返シテ闇雲ニ
ヤサシイ
ヤミノウチへ
アノ
フクヨカナ 初マリノ方へ

産マレル前ノコト
ドーモ
忘レテシマッタ 
ヨーダ
死ンダアトノコト 
モ ナゼカ
忘レテシマッタ

連レテユケルモノナド
何ヒトツナイカラナ
名前モ形モ
ソーダ 気楽ナモノダ

波長ヲ合ワス
コノ夜ニ
波長ヲ合ワス


2010/09/24

ぜつぼうのうた / the Last Resort

ヘンリー・ハドソン公園                                                   John's Run


ぜつぼうのうた (Aug/01/04)

ぜつぼうのうた
ぜつぼうはゆめ
ぜつぼうのくち
ぜつぼうのうち
ぜつぼうをしに
ぜつぼうのはて

絶望とは
よくいるモダン
足踏み外さぬ
ドウショクブツには無縁の贅沢
コトバ食べて生きる僕らのドストエフスキー
エクリチュールの水死体
意味をめぐるフーガの技法
うっとりとまあ耽溺
絶望は 欲望の裏山こえて
つましい日だまりで消されたか
ほら コトバ悶えた
意味は困った

ぜつぼうのうた
こえなき草花
メロデイーはやさしさ
母音から見捨てられた孤児
子音からのあやしいギフト
蛇の目だらけの現場にて
とうざいなんぼくうおうさおう
どうしてうたがうたえよう
どうしてうたがうまれよう

蝋燭を点し
のびるぜつぼうの影
鉱物たちの思考のしじま
ぜつぼうのち
書斎に飾られた髑髏と
コトバを食べしのぐポーの酩酊
最期のタンゴ
ノヴァーリスの華

ぜつぼうてきなしかい
詩?
むしの詩 史の死
されどコトバの売人にも生活あり
肉体あり
食事の時間だバスタイム
寝たり起きたりルールにのまれ
日々のやりくり脅し脅され
暗がり探索は最早時代遅れ 
(恥部を照らす明かりの強度が怖いから)
ぜつぼうのはてのうらのうらかた
詩策とは
つまり陽気な人の為せる技
どうしてうたがうたえよう
どうしてコトバがうまれよう

 彼女をベッドに運ぶまえに
 ピタゴラスは夜々に唄をあたえた

(希望がなければ絶望なし?)

きぼうのうた
ぜつぼうをわすれ
クウをとりだす
きぼうのうた
おもくのしかかった
せつない濁音が
いっせいにコトバの罠から解き放たれ
意味をうしない軽やかに
せんばんへんげ
ため息の傍でそっと服をぬぐ妖精を
みごとよるのすみずみまで
無限のやさしさを添え
神殺しの惑星として悪名高きこの地にて
ひとりベッドに誘うのだ
ほかの惑星まで 届くようにと
妖精のなきごえにあわせ
きみがしずかにきぼうをうたうのだ

どこから連れてこられたのか?
なにを教え込まれてきたか?
ひとびとのふかいそのねむりをめがけ
夜と石
コトバなき住人と供に ドウショクブツのもと
むすうの星々のライトをうけ
きみがひとりしずかにきぼうをうたうのだ

++++++++++++++++++++++++++++++++

では、今夜ご紹介する曲は、アメリカ西海岸のイーグルス(Eagles)ってバンドの『ホテル・カリフォルニア(Hotel California) 』の最後に収録された曲「ラスト・リゾート(The Last Resort)」。
このLP(当時はレコードのことをLPとかアルバムって呼んでました)がアメリカで発売されたのが1976年、僕がこのアルバムを購入したのが高校一年の頃、だから1978年、二年遅れ。
当時、洋盤はリアルタイムで日本発売されず、だいたいその一年後ぐらいにレコード店に並んだんだけれど、イーグルスなんて、優等生的な感じがして馬鹿にしてたから、“まじ聴き(まじぎき)”はやや遅れたんだね。
その頃の感想は、なんでこんなクライ、重いアルバムがアメリカで空前のヒットを飛ばすのさ、ちょっと分からないなあ、でもイイ、素敵!!と、結局レコードが擦り切れるまで聴いていました。
歌の内容なんて、実は昔からほぼ興味がなかったんで、なぜって人が歌っている、何を言っているかわからない、でも痺れてしまうんだからデクショナリーは無用、つまりロック音楽において歌詞の正確な内容なんてもんはどっちでも良かったわけ。“意味”を聴いていたわけではないから、ね。
で、なんとなく今回この散文をアップしようと思ったところ、なぜか、イーグルスのこの曲がひょいと鳴って、早速検索すれば曲名は「ラスト・リゾート」。なるほど、確かにそんなタイトルだった。見覚えあるある。ついでだから歌詞の内容はと検索すればありました、ちょっと長いんだけど、興味のある人はここを参照してください。
それで改めて歌詞の内容を知れば、「へーっ!」て感じです。
アメリカの当時のリスナー環境はほんと上質だったんだね。堀内幹の「祈り」が空前のヒットを飛ばすようなものだ。それに比べて現在のリスナーの程度の低いこと低いこと・・・(なーんてね)。


The Eagles - The Last Resort(1976)
 
 
 
 

2010/09/23

わずかなひかりあうと / the village of the wind

わずかなひかりあうと (July/20/01)

わずかなかおりあうと
わずかなひかりあうと

ちいさな威光をはなつ
クリムゾン絨毯のうえ
ひびきながら点滅する 
傀儡女のように火照る
秘めるsmellサムシング
わずかにかおりながれ
わずかなひかりアウト
古の液が零れ落ちた
薫るコトバひびく声の
ひかりmeetサムシング

底なしのコトバさぐり
さぐりやめた夏の夜に
闇に浮かぶ天の逆鉾
わずかなかおりあうと
かすかにひかりあうと

またたきの虹
星国の冠
淡の島にて
ひとしれず艶やかに
鷹の羽を身につけた
長い黒髪の民族
さんらんせよと きせいをあげ
薫るコトバひびけ唄よ
結びあえばわれる岩戸
わずかにひびきあえば
汝eatサムシング

わずかなかおりあうと
わずかなひかりあうと

2010/09/22

アイヌのウポポについて / Redemption song

この地球上に、僕たち人間が住めなくなる日はやがて来るだろう。
人類の終焉を、せっせと早めているのは、もちろん僕たち人間なのだが、この地球から消滅するのは「人間界」と呼ばれている生態系だけだから、別に構わないか……。
しかし、問題は<音楽>。
音楽は、この世にあるべきか、あらざるべきか?
もし、この世に人間がつくる音楽、“響き”の表現体がある日ぱたっと消滅したら、僕たちは一体どうなる? 
たぶん、医者と薬局が繁盛するくらいで、いや、その繁盛がまたこの世の終わり、人間界の終息を加速化するだけで、やはりこれも大した問題ではない(と、音楽の制作に携わってきた者がこんなことを書くのは問題か……。)

「無人島に一枚だけ持ってゆくCDは?」と訊かれても、電気のない、人間のいない無人島で、人間がつくった音楽を聴きたくなるだろうか?
もし、その島にカモメがやって来るようなら、かれらの鳴き声に耳を澄まし、僕たちはのんびり風と共に過ごすのさ。鳥たちの歌声、波の音がナチュラルオーケストレーション……。
やがて、僕たちは鳥たちの鳴き声に合わせ、思わず口ずさんでしまうかもしれない。
「〜〜〜〜♪」
そしてこの瞬間が、人間の“唄”のはじまりなんだ。(知っていましたか?)
アイヌの唄、ウポポとは、この唄の<はじまり>から、もっとも近い所にあるように感じる。そして今も、そこに身を置いている。まるで、自分の美しさを知らない草花のように。ちいさな恥ずかしがり屋さんのように、目立たず、ひかえめで……唄は、ただ<在る>。
ただ在る、これが一番むづかしい存在の姿だけれど、ウポポはまさに其処に在る。
たとえば、喉をウイウイすればアイヌの唄に近づける、歌えるなどと、おおきな勘違い。唄の出自(ふるさと)は、大自然が鳴らす、奏でる、無限の音色、無数の響きからもっとも近い所に在る。
たとえば、樺太アイヌのトンコリという楽器の生音がなぜあんなに小さくてか細いのか、わかりますか? 人間が意図的にたてる音が、自然界の音をけっして邪魔してはいけない、凌駕してはいけないという思想が、真心が、生活が、彼らの内に揺るぎ無いものとして在ったからだ。大自然の音、もしくは<声>を聴いていた……。
が、最近はどうよ、アイヌの唄を歌おうとする、学ぼうとする日本人が増え、皆、なにを勘違いしているのか、仲良く喉を使ってウイウイやって、恥ずかしくないのかしら? 
まず最初に、唄の心(中心)というものを学ぶべきなのだ。そこに身体を拓いてゆくべき。でなければ、自分の心臓に直結した歌い方、自分の足元から淡々と膨らんでくるだろう唄い方を逃してしまう。歌い手の個性、その魂と、それぞれの喉という器官の形状または特徴に合った唄い方以外は、不毛なのだ。
アイヌの唄は誰もが歌える、覚えやすい、シンプルなメロディーだけれど、実は誰もが歌えない、歌い手の心がもろバレしてしまう、歌唱力などでは誤魔化しようのない「なにか」が秘められている、内在されてしまった恐ろしい唄、作品なのだ。だから、気軽に歌わない方が良い、貴方の素性がばれてしまう。
ところで、ネイテイブ・アメリカンのブームが去り(ちょっと乱用し過ぎたから)、次はアイヌだと、品のないスローライフな人々が、「アイヌ」というキャッチに寄り添い、利用して、“表現”することの恐ろしさも知らずに、楽しければいいんだって軽いノリで(でもその自意識だけはへヴィー級)、なんだかワイワイやっているけれども、ほんと最近の日本人ってのは節度・節操を放棄してしまったようだ。
では、唐突に、僕が尊敬するミュージシャン、今日はボブ・マーリーの歌声を。
彼は神でもヒーローでもオピニオン・リーダーでもない。ただ、奇跡的なミュージシャンだった、としか言えない。
この曲のタイトルは「Redemption song」というのだけれど、直訳すると「救いの唄」って感じか。
他のジャマイカのレゲエ・ミュージシャンはほとんど「スタイルとイメージ」で終わったけれど、彼の音楽、唄は「スタイル」ではなかった。単独的で、荒唐無稽な幻想力、想像力(愛)をもっていた。ゆえ、日本人がドレッドヘアーにしてどうすんのさ!って話。。。


Bob Marley - Redemption song

2010/09/21

ひふとひふが / totheotherside


ひふとひふが (July/17/01)

ほのぐらいトイをかさね
迷うほどにヤミに暮れる
ここに来て何処にとまる
懐かしい彼の地の鎮まり

瑠璃色のツミをたばね
しらずしらずミチに迷う
いづれ妖しいヒトのよ
安らげるトキも来るか

ひふとひふがふれあえば
流れるかなよのかなしみ
落ちるかなよのざわめき
果てるかなよのくるしみ

かぞえかぞえた彼岸の骸
ひふとひふがふれあえば
ただひとりわれはさとる
世は
余ははるかいにしえの事


The Doors - Break on Through (1967)

2010/09/20

サシダサレタナイフ / Howie's jackknife


サシダサレタナイフ (Aug/30/01)

近所にあるヘンリーハドソン公園にて、今夜ユダヤ人のHowieが僕にジャックナイフを手渡した。
「預かっておいてくれないか」

1969年にブロンクスで生まれた彼は、二十代の終わり、なにを思ったのか単身イスラエルに行き、そこでアーミーに志願したそうな。
が、どう見ても、現在の彼は元兵士には見えない。葉っぱ好きの、女性をこよなく愛する、「俺はチベットのタントラ密教を学んだからな、あっち方は凄いんだぜ」なんて、ニヤニヤしながら嘯くあたりはパンク・ジュー、単なる生粋のブロンクス育ちだ。

夏の夜
互いのカラダの輪郭が空ろになるまで
暗闇の中を
芝生の上 ふたり暢気に横になっていれば
生まれた国のちがい 魂の色合いの差など
どうでもよくなり
使い慣れた言語の顔つき
網目だらけの言葉の絡まりなど
静かに
闇が吸い込んでくれる

そして、架空の故郷イスラエルでの生活、摩天楼の人口色でも恋しくなったのか、二、三年後にはアーミーを辞め、実の故郷であるニューヨーク・ブロンクスに戻り、以来「いつも携帯しているよ、当然だろ?」と、Howieはその隣で寛いでいた僕の腹の辺りにそっと護身用のジャックナイフを置いたのだ。

「ギャングでもないお前がなぜそんなもん持ってんだよ」
「自衛のためさ、当然だろ」
「そうかな・・・。ナイフが暴力を、血を誘うってこともあるだろ」
「タケシ、真夜中の地下鉄に乗ったことあっか?」
「あるさ」
「お、恐っかねーだろ!!」
「もちろん怖いさ・・・」

サシダサレタジャックナイフ
ナゼワタシニ?
無造作ニ 
サシダサレタ銀ノナイフ
カレノ 指紋ガビッシリ憑イタ・・・

夜露で光る僕の懐の片隅で、Howieのナイフは、今、ようやく眠りに就こうとしている。
このナイフには、彼の悪夢が、傷つくことをまったく恐れない魂たちへの憧憬が、奇妙な形で混在し、付着している。
かれのangerが
そして、あの濡れたようなマナザシの奥に仕舞い込まれたfearが・・・。


Lou Reed - the Gun(1982)
 
 
 

2010/09/16

草は・・・まねる / moonforest


草は・・・まねる  (Sep/06/04)

狼が

ひらいた
声の

暗雲は途切れ
マ に
月の光をかざる
草 は・・・

かがみこめ
うすく横になり
肌に彫りむ
言の葉の様 が
目を覚ます
その奥行きから
膨らむ
乳白の調べに 酔う
草 は

折りこまれた
写しとられた
黄泉のヒ 戸
天蓋はひらき流れ
千切れた願い縫い合わす
宙のさだめと銀河の 吐息 を
クウとトキのマに

草 は・・・
まねる

呼び合う
おおかみの
声を ・・・まねる


++++++++++++++++++++++++++++++++

それでは、今夜はまた僕の未完成楽曲をお送りしたいと思います。
タイトルは「月の森-moonforest-」。
静かな、それぞれの森の中へまぎれ込んでみてくだされ。

2010/09/15

サンペ SANPE / カピウ ラン Kapiw Ran



一昨日に引き続き、SANPEこと千葉伸彦のトンコリ演奏をお愉しみください。

それでこれは余談ですが、今月末、僕はカミさんと供に阿寒のアイヌコタンへ行く予定です。
一ヶ月ぐらい前、事の成り行きで(?)、いや、星の誘惑により、日川キク子さんの元へ挨拶に往くことになりました。
たぶん、郷右近富貴子さん、その母上である床みどりさんにはかなりのご迷惑をお掛けしつつの小旅行になるかと思います。でも、今回のショートトリップは決して僕にとっては“旅行”ではないのよね。
数年前、一度だけ、阿寒に足を踏み入れたことがあります、という言い方も変ですが、これは千葉伸彦さんの研究、フィールドワークのお手伝いで、フォトグラファー海沼としての同行でありました。千葉さんご自身も、ミュージシャンとしてではなく、アイヌ民族音楽の研究者という立場、阿寒地方に古くから伝わるウポポ(うた)を採譜化するためのレコーデイング、記録、調査等が主な目的でありました。
しかし、アイヌ民族の文化、またはその伝統音楽の研究者ではない僕はひたすら暢気なもので、「ああ、床絵美の歌声が育まれた場所はこういった空気と温度が流れていたのか・・・」と、かなり千葉さんにご迷惑をお掛けしたことを思い出します。それで、第二回目の調査の折にも、千葉さんから「また阿寒に往かない?」と誘われましたが、千葉さんと僕の微妙な立場の違いから、ちょっとした行き違いとなり、その時はお断りしたのでした。
あれから、はじめての阿寒往きから、もう二年以上が経ちました。「もう二度と、僕はここに来ないだろうな」と、釧路空港へと向かう車の中でひとり心に決めたことを、さらっと、まるで無かったことのように胸底に沈め、「奥さんも連れていらっしゃいよ」という床みどりさんの一声により、また、床絵美の配慮(?)から、カミさんご同伴ということとなり、「(んー)」、今から、すでに少しばかり緊張しつつ、やや気が重くもある武史さん、「ハイ!」でした。

2010/09/13

トンコリ奏者・千葉伸彦の軌跡 / Nobuhiko Chiba



昨日、「世田谷ものづくり学校」で、トンコリ奏者・千葉伸彦のライブがあった。

一ヶ月ほど前のことか、千葉さんから、「ライブをやるんで、撮影してくれないかな」という電話があり、「あ、いいですよ」と返事をしておきながら、ちょっと不安になって詳細を訊ねたところ、どうもそのライブの始めから終わりまでの記録映像を残したい、撮影して欲しい・・・そうな。
基本的に、僕は“記録”のための撮影はやらないので、そんな撮影は、舞台の位置を確認し、三脚でも立てて、ビデオカメラ君に任せておけば良いのだし、なにもわざわざそこまで行き、Recボタンを押す必要もないでしょう。(笑)
でも、千葉さんからの依頼なので断るわけにもゆかず(彼は滅多に人にものを頼まない)、「もし、youTubeにアップできる動画を撮っていいなら手伝ってもいいけど」と。
単なる記録映像と、“作品”としての記録映像の違いを、今ここに書こうとすれば長くなるので止めますが、とにかく、昨日の千葉伸彦のギグは最高だった。久方ぶりに、彼のトンコリ演奏、歌声を聴き、撮影しながらも、僕は思わず泣きそうになりました。

三年前に、僕はアイヌの唄い手・床絵美の紹介でアイヌの血は流れていない千葉伸彦というトンコリ奏者、音楽家を知り、彼が奏でる、紡ぎだすトンコリの音、その深い、奥行きのある“響き”に打ちのめされ、当時、僕は床絵美との共同作業、スタジオワークに専心していましたから、その勢いで、彼の初めてのソロCD『千葉伸彦 Nobuhiko Chiba / トンコリ Tonkori』のサウンドスケープおよびプロデュースのお手伝いをさせてもらいました。
あれから、早いもので、もう三年の歳月が流れました。
それで、「これは手前味噌になるから」と、今まで彼のソロCDについて書くことを一切自分に禁じて来ましたが、そろそろ書いてもいいかな、と。
CD『千葉伸彦 Nobuhiko Chiba / トンコリ Tonkori』は、たぶん十年に一度出るか出ないかの、ちょっと奇跡的な作品に仕上がったと感じております。

千葉伸彦とは、アイヌの、古くから伝わる伝統曲の“演奏家”、トンコリ奏者ですが、唯一無二、天才的なプレイヤーです。そして、トンコリ楽曲の、現存するただ一人の正統継承者かもしれません。
もちろん僕は、ここに“アイヌ”という言葉、枠を入れる必要は最早無いとは感じています。なぜなら、音楽家として、演奏家として、彼のその表現レベルは、美しい位階へと達しているからです。スペインのパブロ・カザルスというチェロ奏者が、ドイツの作曲家であるバッハ作品の天才的な表出者、演奏家であったという、その客観的事実において...。

床絵美という野生とエレガントを見事に融和させたような存在と出会い、彼女の歌声を通じ、僕ははじめてアイヌの唄を耳にしましたが、アイヌの唄、伝統曲が、いかに人間にとって根源的な響きをみなぎらせているか、“作品”として恐るべき完成度に至っているのか、これについては以前リウカカントのCDのライナーノーツで簡単に触れました。また、北海道の阿寒湖畔に現在する天才シンガー(あえてシンガーと書いているのです)、日川キク子さんについてもこのブログにてご紹介させてもらいました。
本来一人の作家であり、批評家、言葉と印象を弄ぶだけの評論家ではない僕が、非常に高度な、すぐれた表現を紡ぎだす彼らの、千葉伸彦と日川キク子のご紹介など、実はたいへん不本意なことだと思っています。もし誰かが、彼らの素晴らしさを、僕のような稚拙な言語表現ではなく、明瞭なる形式によって紹介してくだされば、書いてくだされば、どんなに有り難いことか・・・。

上記の、アップした動画は、昨日の千葉さんのライブからです。この日のライブより、千葉さんはご自身をサンペ SANPE (アイヌ語で心臓の意)と名乗っています。
アイヌ伝統曲であるとか、トンコリという見慣れぬ楽器であるとか、こういったことを括弧に入れ、なんら“音楽的な”先入観なしに聴いていただければ、演奏家としての彼の偉大さが、十分にご理解していただけるかと思っております。

p.s.この映像の音、その録音の質はあまり良くありませんし、前半、ガタンゴトン!という会場音がかなり気になりますが、その発信地は千葉さんのお二人のお子さんによるものなので、どうかご了承ください。

2010/09/11

夏ノ終ワリ / at the end of summer


夏ノ終ワリ (Sep/10/01)

スクット立ッタ
樫ノ樹ニ背中ヲツケ
根元ノ膨ラミニオ尻ヲオイテ
今日 ボクハ
天ニ拓いた夏ノ葉ノヒトツヘ
変ワッテイタ

何カガ 
沈メテイタ
見ズ知ラズノ夜ヲ
見セテクレタ

天ニ拓イタ夏ノ葉ヨ
天ニ拓イタ夏ノ言霊
受ケ止メキレヌホドノ
星タチノ激シイ視線ノ下
「足が有るなら歩けば」
囁ク 樹

生・・・

柵ニ囲マレタ
無辺ノ大地デ
スクット立ッタ
樫ノ樹ノ元へ
夏ノ終ワリ二
夏ノ終ワリ
沈メテイタカナ染ミガ
スクット天マデ広ガッタ

タッタ四次元ノ現象二
見蕩レテバカリイル
ジブン以外ノ人ニ成レレバト
イツモ夢見テイタ
多クヲ語ラナイ小動物ヲ前ニシテ
喉ヲ詰マラセテイル
戻ルハズノナイ
過去ノ記憶ヲ追イカケ
手ヤ胸ヲ合ワセテイル

カリソメノ
言葉デデキタ
「教え」ニハ
モウ頼ルマイ
今夜ハ タダ星空ノ下
樫ノ樹ノ元
キミノ歌バカリヲ聞イテイタ

++++++++++++++++++++++++++++++

この散文が書かれたのは2001年9月10日ですが、当時、僕はニューヨークのブロンクス、Riverdaleという街に住んでいました。そして翌日、あの「9.11.同時多発テロ」、マンハッタンの世界貿易センタービルが倒壊するという大惨事が起きたのです。
今日は、奇しくも9月11日で、別に狙ったわけではありませんが、あの日から、すでに9年もの歳月が流れています。ちょっと不思議な気持ちになりますね。
9月11日----。午前中、僕たちは突然の電話、高知県に住むカミさんの母上から「あなたたち大丈夫!テレビ点けてみなさい!いま、大変なことが起こっているじゃない!!」という連絡により、事の真相を知りました。
暢気なもんで、現場近くに住んでいる人間が、日本に住む親から事態を教えてもらうなんて。幸い、ブロンクス・リバーデイルという地区は、マンハッタン島からやや離れた北に位置しているので、なんら被害を受けずには済んだのです。
そして、テレビを点けてみると、まるで良くできたドキュメント映画を見ている感覚に・・・。「大変なことが起きてしまった!!」それでも、成す術はないので、いつものように犬の散歩へと、歩いて5~6分の所にある<John's Run>へ(それが僕たち夫婦の日課)、そこで仲間たちと朝の挨拶を交わし、いつものように犬の手綱を解き・・・。
犬にとって、WTCなるものは存在しませんから、その巨大なビルが爆破されようが、倒壊しようが、数多くの人間が瞬時に殺されようが、死のうが、まるで別世界のお伽噺、普段どおり、犬たちは大はしゃぎ、でもその朝は、僕たち人間は、なぜかあまり冗談を飛ばしあうこともなく、皆、やたら静かにしていたことを想い出します。
その「John's Run」という名のドッグランは、高台にあったので、南の方角に眼をやれば、濛々とした煙が上がっていることをすぐさま確認出来ました。
成す術がないとき、そしてその成す術のない状態を共有せざる負えない時、僕たち人間はあまり多くを喋らなくなります。そして、人種、そこの犬仲間たちはユダヤ人もいればユーゴの人、ラテイーノ、チャイニーズ等々と、人種的に多様でしたが、なんだろう、あの朝だけは、皆、生粋の人間、人種を超えた裸の、ヒトとして、その場所、異様な時間の流れを、ただただ共有し、見つめあい、ひとりひとりが、立っていた様な気がします。
もし自然災害であったなら、僕たちはまたちがった感情を抱くことになりますが、あの朝起こった出来事は、あくまでも“人為的”なもであったこと、生暖かい血が通う僕たちと同じ人間によって引き起こされたという事実が、言葉にはならない状態へと、僕たちをある心理の奈落の方へと緩やかに突き落としたのでしょう・・・。
普段、<John's Run>に集う犬仲間たちを、「この粗雑なアグロサクソンどもめ!」とか、「ここは個人主義の末期の国さ!」とか、毒づきまくって、彼らから“モンスター”などと呼ばれていた僕が、あの朝だけは、・・・どうもうまく言葉になりませんが、なにか、人間の一等深いところにある真の“姿”を、ありありと見せてもらったような気がしたのです。
今から9年前のこの日に起きたあの大惨事も、実はアメリカの自作自演であったとか、色々言われています。が、僕たちのような庶民にとって成す術のないことが現実の裏手で動き続けていることは、たぶん間違いないことで、それもある少数の人間、グループによってこの社会が、経済がコントロールされていることも、まあ、確かなことかも知れませんね。
あの、なにが言いたいかって?
かわりに誰か言ってくれませんか? 

・・・僕らはどうしょうもなく意気地なしで、また、崇高なんだ、と。

 

 

2010/09/10

堀内幹「デスマスク」について / deathmask

最近、僕はこのRiwkakantのブログで、むかし書いた散文などを載せていますが、それもこれも堀内幹の「デスマスク」という作品のせいです。
皆さんは、彼の「デスマスク」を聴き(僕も今回はじめて耳にしたのですが)、どのように感じられましたか? 僕にとってはかなり衝撃的なものでした。
ちなみに、堀内幹の「デスマスク」という動画は、先月の8月3日に吉祥寺の「MANDA-LA2」というクラブにて、フォトグラファー熊谷絵美によってライブ録音され、「幹ちゃんのライブ見てきたよ~」と、彼女から送られてきたファイルを少しばかり編集し、ご紹介させてもらったものです。
ですから、僕も、皆さんと同じように、彼の生の演奏ではなく、動画を通じて、はじめて「デスマスク」という唄に触れたわけです。それで、このブログとYouTubeにこの動画をアップする前に、了解を得ようと、堀内幹に電話を入れてみたところ、「ところでデスマスクという曲はいつ頃書かれたものなの?」と訊ねれば、「15年ぐらい前かな・・・」と。

ぶらぶらさせたカラダは
音をたてて老いてゆく
もっと明かりをくれないか
美しく腐るから

22、3の若者が、こういった言葉たちを浮上せずにはいられなかった、その心境というか、追い詰められ方というのは、尋常なものではない。
中原中也の「汚れつちまつた悲しみ」云々が、とても可愛らしく響いてくるような場所へ、彼、堀内幹は、人知れず赴いてしまった。そこで、彼は“詩人”として誕生したが、時代は、彼にポエトリーリーデイングなどという暢気な形式、表現方法を許さなかった。ゆえ、堀内幹によって掴まれた崖っぷちの言葉たちは、メロデイーを与えられ、彼自身が、これを歌わざるを得なかったのでしょう。
中也の言葉も、「異臭を放った宝石」と歌ったタテタカコの言葉たちも、透明な叙情性の内にて張りつめ、震えていますが、堀内幹はより生々しい場所へと赴いた。
たぶん、彼は22.3で夭折できたのかもしれない。いや、彼の心はすでに壊れているのか? もし、今もなお持ち堪えているなら、凄まじい気力と体力、身体力が要求されるはず。
僕は、堀内幹のスタジオ録音盤『one』というアルバム制作のお手伝いさせてもらいましたが、「デスマスク」という作品からこの『one』へと至るまでの15年間、人が、もし“表現者”であるならたぶん避けては通れないきびしい道程を、彼の歩みを想像し、ちょっと恐ろしくなりました。

皆さんは、音楽になにを求めるのでしょうか? 音楽に、娯楽を要求するのでしょうか? たとえば、文学に、なにを求めるのでしょうか?
もしくは、“表現者”に、なにを期待するのでしょうか?
僕たちは、たとえば、オランダのピストル自殺したゴッホの絵を見て、驚嘆します。なぜ、驚嘆するのでしょうか?
ピカソの仕事、その多作ぶりをみて「彼は天才だ」と嘆息もします。なぜ、嘆息するのでしょうか?
彼らの「生」にとって止むに止まれぬ行為、表現・・・、歌も、絵も、そして文学も、娯楽ではないですね。
プログラマーが01を相手にするように、土木業者がアスファルトを、もしくは大地に挑むように、“表現者”とは、自身の魂を相手に熾烈な挑戦を強いられた者たちではないでしょうか。
ただ、それだけのことです。

「ほんのたわむれだと信じて、息が止まるまで殺されると思わず、さからいひとつせず、お前の膝を枕に眠ってくれるような、そんな神仏のような殺し方がお前に出来るかね。・・・」 川端康成 『散りぬるを』より

2010/09/09

はてなしの舞 / In the Moment


はてなしの舞  (July/17/01)

はてなしのはて
そのはてまいり
そのはての國へ

さてはワカモノ
ひとり首すじに
いとうるわしき
ちょうをつれて
遍く聲にゆられ
よいと体うかし
気を祓いしずめ
はてなしのはて
そのはてを往く

こころ以て
こころ伝え
こころ以て
こころ送り
非を割るか
無を身篭り
カミくだき 
カミおろし
カミむかえ
カミのみや
よのしらべ
よにしらせ

はなたれた矢
ゆくへ知らず
われをわすれ
遍く聲にふれ
めざせやあの
はてなしの國
更にめざせや
はてなしの宇
はてなしの空
町も人も離れ
あのはてなしの國にてはてなしの舞

2010/09/08

やがてよるもひるも / closeyoureyes

やがてよるもひるも  (July/28/04)

やがてよるもひるもめをさますだろう
自己滅却という
ことばのウラを覗くまえ
草原が
ほら 全身に 
拡がりはじめた

やがてよるもひるもめをさますだろう
自己認識という
ことばのハリを消し去るまえに
朝顔が
ほら全身に
咲きはじめた

気をもんで
気をもんで
気を枯らす
医者が繁盛する時代はおかし

沖縄の民は
気の振れた者を丁重にあつかう
都会では
気の振れた者をクスリ漬けにする
病名が増え続けるこの世界
健全な人間は同情に値しない

のびちぢみのびちぢみ
ひきこもるとくべつなりゆうもなしにひきこもる
のびちぢみのみくだし
ろうじんまでもがひきこもり
ひとめをきにしてひきこもる

すでに部屋の中は世界
世界はもはや部屋の中
だれが満月に触れようとするのか
手を延ばせば
届くかもしれないというのに

ああ だれか三千年ぶんの雨を
はやく三千年ぶんの愛を

百の姓を名乗っていた農民が
スターだった時代は疾うに過ぎた
道ゆくエンジェルたちはポッチャン便所を知らぬ
芸のない成金にはどうか無人島三年ひとり暮らしを
テレビのない明るい生活
満点の星空とふるえるような闇の中で
換金できない至上のヒカリは
今もただ黙ってそこに在るというのに
だから三千年ぶんの愛を
はやく三千年ぶんの雨を
ここに降らせよ

巧妙なブレイン・ウオッシュ
顔のない神経風の悪戯か
気をもんで
気をもみすぎて気を枯らす
おおジーザス煙色の御人
あての無いココロたちの内ではやく目覚めよ

こどもをあいせなくなった親たちの集い
親たちをみとめられなくなったこどもたちの黄昏
部屋の外に住む
動植物たちがみたら さぞかしおっ魂消ることだろう

三千年ぶんの愛を

お肌の曲がり角
地球にも幾多の曲がり角はあった
地球というボデイーのお臍は
ギザのピラミッド とは?
この世の片隅で起きた馬小屋の奇跡 
それは美しい物語
菩提樹の下では柔和な笑みがうまれ銀河もふるえた
世界史の裏通りでは
数多の見知らぬ覚者たちの歌声が 音楽が
今もなお響きつづけている
数千の御ワザと数十億のアヤマチ
無意識の泥濘は視界を被い
ろくでもない思考はココロを惑わす
<存在>にはあの楽園の記憶
午睡の光景 ことばによっては囲いきれぬヒカリが
びっしりと詰め込まれている
齧られた真紅の林檎
だれの仕業か
善と悪が真っ二つに割れ
善悪を知り
善悪の愉悦に酔い
混乱し 追い込まれ 
ゆえ彼岸へと渡り
宗教が生まれ
此岸へ返り 芸術がうまれ
どこに置き忘れたのか
こじんてきな
すいたほれたはもういいから
はやく
はやく三千年ぶんの愛を
終わるまえに
ここが終わるまえに
まぼろしがまぼろしとして朽ちてゆくまえに
ここに降らせ

嘆きつづけた壁たち
立っていることに疲れ
人間の切ない祈りに耳澄ますことを止め
ヨーロッパの国境あたりの死の淵で
思い思いに倒れこむ

だが

こうして・・・
やがてよるもひるもめをさますだろう

2010/09/02

堀内幹の旅路 / Kan Horiuchi's blood


七尾旅人がTwitterで書いていた。
「堀内幹さんに会ってまた改めて強く思ったが、シンガーソングライターって埋もれた怪物がごろごろいる。
SSW(シンガーソングライターの略)はシーンを基盤にしない。
基本、結託しないので、何年も孤立し続け無名のまま怪物的な芸に達した人たちが全国にいる」と。

堀内幹、いや、僕は幹(かん)ちゃんと呼んでいるから、彼は孤立した存在ではない。単独的であり、孤高かもしれないけれど、孤立はしていないと思う。
幹ちゃんは確かにミュージシャンとして“怪物的”な能力を持っているけれど、怪物くんではないわよ。

1937年、結核のため30歳という若さで死去した中原中也という詩人については皆さんよくよくご存知かもしれませんが、中也の「山羊の歌」にはこんな詩が収録されています。

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

そして、映画「誰も知らない」挿入歌でもあったタテタカコの「宝石」という作品は、たぶん25,6歳の頃に書かれたのでしょうか

氷のように枯れた瞳で
僕は大きくなっていく
誰にも寄せつけない
異臭をはなった宝石


昨日、9月1日に全国で一斉に発売された堀内幹、初スタジオ録音盤『one』には収録されていませんが、幹ちゃんが15年ほど前に、22,3歳ですでに書いてしまった「デスマスク」という作品を、今夜は皆さん聴いていただきたいと思います。

わ!もちろん『堀内幹 / one 』は、“買い”です。