郊外の、 土日祭日には都心の方から登山客でごった返す観光地の外れにある 総合精神病院の外来駐車場のド真ん中で、仕事の合間、 その立ち位置から見える辺りの遠景を、 何かが到来する予感に満ちた感情の色彩が濃厚に滲んだ定点観測風 の写真撮影を続けていたのは確か今から7年前のこと。 ついこの間のような気もしますが、 現在は撮影することもなく仕事中はじっと思索しています。笑
「撮影を続けないの?また撮影すれば良いのに」
「散々撮ったからね。 また撮影を始めたらそれこそ無味乾燥な定点観測写真になっちゃう じゃん」と、その場所に立ち、 何か新しい光景が見え出したら再び撮影を始めるのでしょうが、 今はただ精神科病院の外来駐車場のど真ん中で思索三昧!( 最近のブログの文章は全てここで考えたこと。)
ところで、 この病院で成り行き上親しくなった入院者は数名いますが、 今日はそのひとりを紹介ーー。
この方、若い時分に心の病に罹り、30年近く入退院を繰り返し、 現在50歳ちょい過ぎの、関東方面の精神医療施設、 病院などを転々とし、9年ほど前この病院に送り込まれ、 なんとその人生の半分以上が施設と病室暮らしというかなり数奇な 運命を辿って来た方。たまたま音楽の趣味が合い、 こちらがズケズケものを言ってもさほど動じない無邪気さと、 根は豪胆な部分もあり、 仕事の休憩時間を利用しては様々のことを話し合った。
40代の頃に密教思想にハマり、 母親との諍いごとで思わず九字切りをして倦厭され、 のちにクリスチャンとしての洗礼を受け、 今は行きつけの教会でゴスペル音楽を歌うことを歓びとしています が、 たぶん音楽と自己防衛的な信仰心が彼の唯一の心の支えとなってい ます。
では本題、彼との会話のエピソードをひとつ。
ある時、僕としてはかなり意を決して(笑)、「この世界ってさ、 ほんとうは無いんだって知ってた?」と切り出してみた。
すると彼は一瞬不安げな表情を浮かべ
「また〜、海沼さん、やめて下さいよー、そんなこと言うの」 と明らかに動揺し始めた。
「でも、お釈迦さまだって、この世はマーヤ、 幻って言ってたじゃん」とフォローのつもりで続けると「 海沼さん、その話はまた今度にして下さい」と後ずさり……。
「この世界は無い、幻想である」と言う発言が、 人間社会から狂人のレッテルを貼られ、 監視付きの隅っこの方へと追いやられ、薬漬けにされて、 院内では人間の様々のバリエーションの狂態ぶりや摩訶不思議な悲 劇を見てきたであろう精神病院のベテラン入院者でさえも「 この世界は幻!」 というあの仏陀のコペルニクス的大転回なお知らせには恐れ慄き 、そそくさと院内8床室へ退散。
さんざん人間と人間が壮絶な殺し合いをしてきた野蛮な歴史を持つ この地球、社会通念や公的マナーからちょっぴり逸脱し、 自分たちをクッション付きの壁に囲まれたガッチャン小宇宙(保護室)に隔離したこの 世界が夢であったらそれこそ最高の救い、救済ではないか?
こんな世界、 こんな寒々とした真っ暗闇の宇宙空間でもまだ存在して欲しいとい う人間の奥深い荒唐無稽な欲望、圧倒的狂気、 深く吟味されたことも無い潜在的な信念(この世界はある、 時間と空間は存在する、とか)について、彼を通じ、 あらためて深く考えさせられた。いや、人ごとでは無いのだ。 人間の心、意識の実態、その巧妙極まりないカラクリとは?
「(この世界が無いってことは、つまりきみや僕が考える、 もしくはこの自己実感って奴も幻想、 イメージに過ぎないってことになるよね)」
なるほど、この言葉、この知らせ(真理)こそが、 人間社会にとっては最大の狂気かも知れない。
なぜなら、この仏陀の教え、達眼をそのまま了解したなら、 たとえば日本仏教の諸々の形式、行事、決まりごとなどは反仏陀、 仏陀の思想に非ずという恐るべき論理的および感性的帰着。
さらに仏陀の教え、この眼差しによれば、世界について考える、 社会に蔓延る諸問題について考えること自体が、 幻想について思案し、幻想に取り組むということとなります。
限られた自分の想念、 反復的な妄想から逃れられない統合失調症者と比べ、 この世界を少しでも良くしようとする者たちの思考の情報量、 豊富な経験値、さらにその正義感に満ちた想い、 良き想像力などなどをベースにした取り組みは、 きっと世界の多くの不平等をなだらかにし、より住みやすい社会、 人間の暮らしをより快適に、より便利に、 未来の子供たちの為に大いに役立ってくれることでしょう。
ですが、常人も、いわゆる社会的排除者も、 両者共に幻想の中に居て、 夢を見ているという意味では五十歩百歩。仏陀の明視は、 人間の根本的問題、人類の不幸の根とは、 移り変わる諸現象であるこの社会や世界構造の不備や欠陥部分、 ありとあらゆる問題や不条理にあるのではなく、 人間がまだ夢の中に居てこれに気づかず執着し、翻弄され、 夢と戦い、挑み、また魅了され、この夢の世界での幸せのみを追い求め、 ひたすら夢を見続けていることにあると。
ではなぜ、一体誰が、 僕たちが共有できる「現実」としてこの夢の舞台を必要とし、作り出したのか?
owarikata(2010年作)
0 件のコメント:
コメントを投稿