ずーっと机の上で、誰かが書いた文章が行儀よく並んでいるだけの本と呼ばれる観念世界上で、心の見方や心理のバリエーション、行動における統計学的な反応パターンや主観的な心理観察レポートの記述をひたすら読み込み、暗記して、知識を蓄えたとしても、たとえばコンビニのレジ打ちのバイトなんかしながらその場所でしか見えない世界と五感を通じての生々しい体験、世の中には様々の背格好を持った心模様が、多彩な嘆きと音色の異なる懊悩が、職業が、またこの社会の構造が生み出したプライドや劣等意識、そしてよーく耳を澄ませば幼児期のトラウマ独奏曲が静かに鳴り響き、挫折感のトーンとその強弱や、環境によって育まれた性格と持って生まれた気性からの影響、屈折の度合いとその微妙な角度や方位の差があって、執筆家のような言語表現力を持たないクライアントの症状告白への真偽を嗅ぎ取る反射神経などなど、実地で、つまり人様の具体的な身体と心たちの土俵の上で、混雑した生の現場で、自身の身体と知性を張り巡らし見聞きして、謙虚に学んで来なかった暗記力抜群の机上の妄想者たちに、果たして精神科医とか臨床心理士などの資格を与えても良いものだろうか?
「これを読めばお絵描きが上手くなる!」的な教則本を読み込むだけでは 絵が上手くはならないように、ただひたすら椅子に張り付き本を読み国家資格をゲットした20代30代のガリ勉くん、社会の不条理や低所得者の倹しい暮らしを身近でビシビシ感じて来なかった者に、または時給1000円?の重みを味わったこともない象牙の塔の住人が(笑)、社会が強要または提示した身分の差やお金にまつわる問題、さらに歪みまくった人間関係で精神に異常をきたした弱き心の元へとすっと近づけるのだろうか?
分裂病が「病気」ではなくて、他人との関係において歪められた「生き方」だという考えは、私自身の内部ではとっくに自明のことになっていた。(木村敏)
絵が上手くなりたければ、ひたすらキャンバスに向かい絵を描くしかないが、人間の心理とは、キャンバスのようにはじっとしてはおらず、絶えず動き回る。そんな動的な心を相手にカウンセリングする、治療する、そのスキルを上げてゆくということが、どれほど困難なものであり、また膨大な経験値を必要とするか、切に自覚している精神科医はまだ少ない。
私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきこととみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないか。(木村敏)
もちろん精神科医として日々クライアントの面倒をみている彼らの仕事はなかなか厄介な、まるで達成感が得られない、刻一刻と自身のプライドを蝕んでゆく可能性大の仕事だから、これに抗う為に、ついつい「この病気は遺伝です。だから治せません。薬物療法でずーっと付き合ってゆく病気です」なんて信じ込もうとする気持ちは分からないでもないが、「私は絵描きです。でも絵を描けません!」と、もしこう仰る方がいたら「んじゃ、絵描きを名乗るなよ!」と突っ込みたくなるもの。
「きみはなぜ精神科医に対してそんな辛辣というか、拘るの?」
だって高給取りじゃーん!ってのは冗談で、たぶん僕が小学4年生の時に、母が精神分裂病と診断され、話せば長くなるので端折って書けば、ある人間の精神の病が引き起こす様々の問題を、苦々しい場面やそれに伴う逃れようのない切なさを、そして堂々と公表できない秘密を持たされた者の哀しみや人格が突如豹変する姿を目の当たりにする恐怖、心理学の本を読み漁ってもその内容は部分的な視座に過ぎず、具体的に何も変えられなかった家庭内で多くの〈疑問〉を若くして持ってしまったからだと思う。
ところでGoogle検索によれば、今から150年前の1875年(明治8年)に日本で最初の精神病院が京都の南禅寺境内に開院され、その後1948年に児童精神科医療が始まったそうである。然るに精神医療とは、まだまだ改良の余地ある未開拓ゾーンであり、発展途上部門だと個人的には思うが、確かに母が入院していた50年以上前と比べれば、向精神薬の種類は増え、そのグレードはかなり良くなったような気もする。電気けいれん療法( ECT)という脳に程良い電圧調整も可能となり、アメリカで一時流行ったアイスピック・ロボトミー手術の効能を信じる精神科医はさすがにもう居ない。鬱や狂気の原因を数値や画像で発見したいという使命や欲望が、はたまた治療費請求のためか、高価な MRIを置いてしまうという不思議感はあるが、年若いカップルが手を繋いで気軽に精神科の門を潜ることを可能にした世間的イメージの変化、つまり「お、お、おまえ、精神病院に行くんか!」というかってのハードルの高さは無く、これは良きこと。だが、昭和の時代なら、単に「しようがねーな〜」と放っておかれた少々落ち着きのない子供らを ADHD、アスペルガー、自閉症と、すぐさま発達障害スタンプを押し薬漬けにする現状は如何なもの?
精神医療とは、目に見えない心の障害を、目に見える身体への取り組みによって解決しようとする(狂気の)試みですが、では精神病院の〈外〉である正常な者たちが過ごしているこの社会、この健常者スペースではこれまで一体何が行われて来たのか?起こってきたのか?
縄張り争いが高じての戦乱戦国の世にはふつ〜にさらし首、リハーサルなしのチャンバラ、斬首刑、釜茹でが……。 NHKの大河ドラマなどで取り上げられ美化された武将なども、所詮は現代の暴力団の親分でもたじろぐような大殺戮を指示してきた者たちではないか。 そしていまだ海の向こうでは殺し合いが。〈外〉の世界も十分狂っていて残酷極まりない人類の歴史。
100年前、50年前と、確かに鉄格子がチラつく劣悪な環境と残酷な治療法は少しずつ改善され、患者同士の軽い殴り合いはあっても血みどろの殺し合いはない現在の精神病院とは、社会の熾烈な椅子取りゲーム、競争、狂気から一時的または長期的なエスケープを許してくれる、日がな一日ボーっと、いや、一生働かずに冷暖房完備 3食看護付きの殿様のような暮らしを補償してくれる薔薇色の駆け込み寺として機能しているようにも見える。
この世界のどこに正気のスペースがあるのだろう?
それは病院の中か?〈外〉か?
狂気とは、確かに直接的には知覚されぬ心から起こり、この物理的な現象世界で多様な表現方法を取る。
僕も十分狂っている。
ならば心を見詰めるしかないではないか。
そこに答えがあり、真実が在る。
(と、オチのないお話でした。)
spring tune(1991年作)
0 件のコメント:
コメントを投稿