~写真家の写真集とは、写真を使った言葉のない著作~
コマーシャルフォトグラファーと写真家の写真の違い、その立ち位置の違いについて説明します。
コマーシャルフォトグラファーは被写体を「どう見せるか?」に比重を置きます。これは、クライアントの要望やその写真がどんな媒体に使用されるのかを意識する必要があるからです。これは当然、撮影者の主体的な「これを撮りたい」という情動、根底的な初動が抑え込まれます。
では、写真家の撮影の流儀とは?
彼らはもっと原始的、本能的に世界に触れようとします。そして、「私は見た」を起点にし、次なる「見る」へと繋げてゆきます。つまり、その「見た」を軸として、どこまでも「見る」を深めてゆこうとするのです。
これが写真家の基本姿勢なので、コマーシャルフォトグラファーの眼や意識とは、その背景そのものが似て非なるもの。ただ、コマーシャルフォトグラファーの撮影は失敗が許されない、待ったなしの独特な緊張感の中で進行します。それに比べ写真家は「今日は上手く撮れなかったから、まぁ、明日また撮りに来れば良い」。
" 君には世界がどう見えるんだい? "
「見た」「見た」「見た」を重ねてゆく。
写真家の写真集には彼らの生存の証のようなもの、彼または彼女の考え、思想のようなもの、流行を無視した独自の美意識、生き様、その足跡などが入り込んでいます。そしてやがて、この世界とは?この現象界とは?被写体とは?自分とは?観るとは?撮影するとは?関係性とは?そんな事を考えるようになります。
そして「光」とは?
" なぜ世界がそんな風に見えるのか君は知っているのかな? "
できれば、自分が与えた命題への現時点でのささやかな回答が、今回皆さんとの関係、ご協力の元で生み出される写真集の内に含まれていることを望みます。
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