2010/02/26
Seal and Sade / newBLACKmusic
この2人のシンガーの共通点は、シール(Seal)、シャーデー・アデュ(Helen Folasade Adu)、両者ともナイジェリアの血をひく“混血”なんですね。
僕は、血は混ざり合った方が良い、国籍、人種という「唯物的観念」などは喪失した方が善い、という考えの持ち主なんですけど、もちろん、いわゆる「ボーダレス・チルドレン」、国籍や人種という毛布に、寝床に横たわれない、依存できない、そういったある種生々しい幻想にそのアイデンテイテイーを、居場所を確認できない人たちの“惑い”というもの、存在論的な“不安”をひどく抱えた人たちと、ニューヨークで生活していた頃、触れ合う機会は度々ありましたから、僕の考えは決して軽はずみで無いことはご了承ください。
シールとシャーデー、彼らは「やさしさ」を生きているように僕には感じられるのです。そして、“混血”を生きざる負えない彼らこそが、この世界の、「人間」の本来(未来)の姿かもしれませんよ。
ELEGANT、・・・国籍や人種、歴史的世俗的理念、観念、概念、等々、よこしまな習慣、時代遅れの宗教や神々などから開放されればされるほど、人間は途方も無い不安の谷に突き落とされますが、「やさしさ=エレガント」を携え、変容し、再生するのではないか、いや、はじめて生きだすのではないでしょうか?
ボーダレス・チルドレン、こういった存在たちの足元、足場となる条件が、この世界・社会には整っておりませんが、故郷を喪失することによってしか人間は自由に成れない、羽ばたくことはできない、まったき<個人>と<個人>の出会いは無い、と僕は思っているのです。つまり、まだほとんどの人が、あの「愛」を、知らないのです。
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