堀内幹の「借りものの歌」というタイトルが付された歌詞の世界へどのように近づいて行くべきか、いや、僕はすでにその世界を訪ね、その静かな森の奥で多くの時間を過ごしてきましたから、多分どんな言葉から切り出せば文意が整ってくれるのか思案していたのだと思います。
すると、ふと、"無垢"という言葉が浮かんできました。続いて、ウィリアム・ブレイクの詩集『無垢の歌 Songs of Innocence 』の" Piping down the valleys wild(羊飼いは笛を吹きながら荒野を降り)"という詩がイメージを連れ響いてきたのです。
神さまと
同じ色さ
遠ざかる
風の中で
彼は「神」という言葉を自身の歌の中で使うことを酷く警戒する人間だと思いますが、この「借りものの歌」ではいきなり「神さま」と記します。そして直ぐにそれは「(自分たちも神と)同じ色さ」と明かす。
さらに神さまと同じ色であることを告げた、教えてくれたあの「風」はもう遠ざかってしまうのか?と自問します。
借り物の
歌を歌い
皆と同じ
空を見てる
シンカソングライターである堀内幹は作詞作曲演奏と、全て自分1人で熟しますが、全曲オリジナル・ソングであるにもかかわらず、ここで「借りものの歌」、自分が歌っている、自分が作った歌も借りものの歌だよと、まるで囁いているかのようです。
たとえば、ある民族が口頭伝承により伝え残してきた民族の歌とは作者不詳であり、個人の歌ではなく受け継がれた歌ですが、この歌たちは「皆と同じ」空を見せるよ、と。
森の奥で
繰り返し
回ってる
回ってる
一体、森の奥で何が回っているのか?
彼はそれを見詰めながら、決して言葉では明言しません。
なぜなら、それは眼には見えない「*」であり、言葉にすると逃げ去ってしまうから。
此処に、民族の意匠をもう必要としない堀内幹がこちらを見て笑いかけています。
借り物の
歌でいい
何も違わぬ
ひとつも違わぬ
長い間、ひとり歌を作り続け歌ってきた者が、遂には自分の歌さえも借りものであると、何か個人的な荷を手放そうとします。
そして「羊飼いは笛を吹きながら荒野を降り」、歌を記し、荒野に放ち、やがてあの澄み切った神が住む空の元へと還る。
Piping down the valleys wild,
Piping songs of pleasant glee,
On a cloud I saw a child,
And he laughing said to me.
この世界は、民族の歌、民族言語、歌唱法など、その歌が生まれたベースである生活様式を捨て、「歌の源」から遠ざかり、忘れ去ることを選んで来ました。
無数の個人的な歌が混沌と渦巻く現代社会の表層的な暮らしの中で、堀内幹はきっとこう言うことでしょう。
「それは私の中で失われた訳ではない。なぜならそれは私の内側で脈々と流れ、息づいているから」と。
この確信が、実は「借りものの歌」のコアであり、隠された軸になっているような気がします。
何も違わぬ
ひとつも違わぬ
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