心の完璧さ、実在の完璧さとは、
つまり、解脱者や覚者と呼ばれている人たちの悟りや目覚めとは、 決して個人的なものではなく、 私たちの悟りであり目覚めでもあると、 こう解釈することが出来るのです。また、 このように理解しなければ悟りや目覚め、 光明を得るとは個人的な幻想、 もしくはある選ばれた人たちに与えられた特権的な夢に堕します。
これについて深く考え、 悟りや目覚めとは個人的なものではなく全的なものであると、 この視点から歩み出すことは、 やがてある壮大な結論に導かれるような気がします。
僕の内側から溢れ出す音楽
この世界という不安定な夢の舞台で
僕を通して表れる音楽
それがどこへ向かうのか
夢の合間を縫って
知覚の向こう側からやって来て
なぜここに
現れたのか
溢れ出す音楽
跡形もなく消えゆく世界
たぶん知る必要もない
「身体=自分」
この思いの構図が
自分とは一個の肉体に過ぎない
この考えが
無数の個々の〈自分=イメージ〉を生み出し
その根深い執拗な信念から解放された瞬間
人は 心がひとつであることを
……観る。
世界中を彷徨い
探して 探して
その探し求めていたものが
〈自分自身〉であったと気づく時
旅は終わり
海は歓び
この手は空につき
無白となった大地は瞬き
流れる樹と葺く水の鼓動は弾け
川の頂から心の尾根伝い
時間も空間も消滅し
闇は垂直に割れ
空っぽの心はただ〈今〉に座り
0を知らない1の訪れ
探し求めていた
それはすでにここに在ったことを
知る。
dear#3(1996年作)
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