2025/02/20

Spiritual Noise#03 ポテンシャル


 

無闇に細分化した音楽ジャンルの中にはノイズミュージック (Noise music)と分類されたものがあります。

ノイズ音楽とは、一般的にはあまり知られておらず、またそれに興味を持ち聴いてみようとする人たちも多くはないと思いますが、ちなみにウィキペディアで〈ノイズミュージック〉と検索すると、「いわゆる音楽的常識からは音楽と見なされないものを演奏または録音し、楽曲を構成していく音楽」と、こう書かれています。さらに、ノイズ音楽の起源としてイタリア未来派芸術家ルイージ・ルッソロの論文『騒音芸術(L'arte dei rumori1913年』を取り上げ、「私たちは楽音(sound)というかぎられた範囲を打ち破らればならない。そして、無限の多様性を有するような楽音としての騒音(noise-sound)を獲得せねばならない (AN,25)」などと、幾つかの言葉も紹介しています。

無限の多様性を有する音楽……。素敵な言い回しですね。もし、この世に無限の多様性を持つ食べ物があればついつい食べたくなるものです。


ただ、従来のノイズミュージックの欠点としては、往々にして奇抜さや攻撃性、通常(?)の音楽への即物的な否定の身振りや多分に破壊的なパフォーマンス、方法や様式の面ばかりが強調され、「なぜ、あなたはその音楽、響きを必要としたのか?」への明瞭な自覚を持った作品、楽曲がいまだ少ないことです。

過剰な自意識の吐け口として「音楽」を利用しているだけのミュージシャンもいますし、その演奏内容、楽曲の中身はほとんど無方向な代物です。

もちろん広義な意味においてノイズ全般、環境音や自然が放つ無数の音響は「方向性」など持ち得ないものですが、そのノイズ、雑多な音たちに人間の心が、聴感や知性が関与することにより、初めてヒカリの源泉、人間とこの世界の根源へと誘惑される楽音、またはこれを志向する「音楽」として再生する機会を得るのだと僕は確信しています。


たとえば、写真表現とは撮影者(写真家)がこの世界をどう見たのか?が問われ、その応答の記録ですが、どんなジャンルに限らず人間が作り出した「音楽」とは、作曲家または演奏家が、この世界から何を聴いたか?何が聞こえて来たのか?また何を救い出し、視てしまったのか?の研ぎ澄まされた報告だと思います。


p.s.

一時期流行ったミュージック・コンクレート(Musique Concrète)のように、録音された環境音を電気的に加工し、粉砕?する現代音楽のアプローチはちょっと傲慢だったような気がします。 


Spiritual Noise#031994年作

 

 


 

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