2008/12/31

この日、あの日


とりたてて、甘い気に包み込まれて、居た風ではなし、今年も、「あっ!」という間に、オワリが近づきつつ、が、「今日寝て起きれたら、今日」に揺れる者らは、「来年」というコトバも知らず、毎日が新年、真実はアヤフヤ、あかるい陽だまりにつどう音の活躍に、ただただ見、聞き惚れていたのでした。
努力なされた方々も、悲しみに暮れた人々も、親をうしない、子をうしなった方々も、株やゴルフに思う存分興じた居場所のない方々も、人の世は長いようで、「実」はほんの一瞬、すべて、良いではないか、全て、が、「生」である、生と死の架け橋に心在り、この世に酔い、あの世にあそぶ、それぞれの小さき感情の波間にて、身体を連れ、あっち行き、こっち行き・・・、そして静かな夜更けは唯一朝日の仕業・・・、あの日は、今、ここにて思い出す者らのすぐ傍らに在り。

2008/12/14

ピカソ・青の時代 / PICASO - blue period



上の写真は、1901年ピカソ「青の時代」の自画像ですが、なんだかこの顔、ロシアの文豪ドストエフスキーの面相と相通ずるものがあると思いませんか? ほらちょうど、この頬のこけ具合が・・・。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー、1864年に書かれた彼の小説「地下室の手記」を読んだことがありますか?彼の「青の時代」のピークとは、たぶんその頃なんでしょう。(いやいや、彼は死ぬまで「青の時代」だったのかもしれません・・・。)
1926年に生まれたジャズ・ミュージシャン、マイルス・デイビス---。彼の「青の時代」は? 1959年8月17日、コロンビア・レコードから発売された「カインド・オブ・ブルー(Kind Of Blue)」。当時、彼の演奏は「卵の殻の上を歩くような」と称されたそうです。

「青の時代」とは何か?

それで下の方の写真は、Edward S. Curtis・エドワード・カーティス(1868-1952)という北米インディアンばかりを撮り続けたアメリカの写真家の作品が飾られたアリゾナのとある文明ホテルの一室。

たとえば、やたら言葉を費やさなくても、この二つの写真を見ただけで、これをアップした、このツインを選ぶ者の意図というか、メッセージのようなものは伝わってしまうものですが、ぼくはちょうどこの真ん中を、この狭間に在ることこそが、真に、「今」を生きることだと思っております。(やや馬鹿っぽい発言かな。)

PCのマウスやキーボード、または写真機の可愛らしいシャッターボタン、もしくはピアノ鍵盤を叩くこの手、ちょいちょい動くこの指先、これを「仕事」とした者、その手が、鉈や鋸を腰からぶら下げ、近くの荒れ果てた植林杉山に分け入り、間伐や下草刈りに勤しむ、または荒れ地になっていた畑を友人らと耕し始める、こういった経験、手や腕や足の運動のうちに、腰の使いや筋肉の動きの最中、それまで見えてこなかった、見ていなかった、忘れていた、文明の道具にひどく甘やかされた身体と意識の内側へ、未知の“実体”が、その中心めがけ、どっと入り込んでくるのでした。

2008/12/01

渋谷Bunkamura 『ナディッフ モダン』へ御越しください。

お蔭様で、渋谷東急BunkamuraB1 『NADiff modern・ナディッフ モダン』にて絶賛発売中の、床絵美・千葉伸彦・リウカカント・海沼武史のCDは、ご好評につき、年内12月31日まで延期販売されることになりました。
そして、同館『ザ・ミュージアム』の方では、「アンドリュー・ワイエス/創造への道程」展が、12月23日(日)まで開催されております。

お近くまで御越しの際は、ぜひぜひお立ち寄りください。



*ワイエスは真摯な作家です。
通説では、アメリカの原風景のようなものをモチーフにした、平凡な田舎にて誰もが眼にするであろう風景、「何でもない、さり気ないシーン」を描いた作家であると、認知されております。
彼が描いた作品、その画面から発散される「厳しさ」、「センス」、「緻密さ」・・・等々は、昨今のぺらぺら現代アートや、観念を張り巡らせることが今だカッコイイことだと勘違いしている絵が描けないことへの眼くらまし、マルセル・デユシャンの亡霊やトリックに誑かされている現代の作家らの仕事と比べてみますと、かなり刺激に満ちた、「本来」の視覚体験を、観る者に与えてくれます。ですが、残念なことに、ぼくがアメリカに在住していた頃に、もっとも身に沁みた「アメリカの風景」とは、ワイエスのそれではなく、あのアメリカ先住民が聖地とした、場所、「現場」にこそ在ったのです。(って、つまらぬ余談ですが・・・)

そして漠然と思うに、画家アンドリュー・ワイエスの悲劇とは、彼がアメリカというアングロサクソンにとっては歴史の浅い場所で、生まれ、「アメリカ人」として生きざるを得なかった処にあったのではないかと思っています。彼が、もし、その画業の舞台をイギリスにおいて展開できたなら、たぶんターナー(Joseph Mallord William Turner, 1775年4月23日 - 1851年12月19日)級の評価を、間違いなく手にし得た事でしょう。
ワイエスがモチーフにした数多のさり気ないアメリカの古き良き時代(?)の風景、彼はそこに自身の存在を丸ごと貫入することができず、ある種のよそよそしさを感じていたような気がいたします。たとえば、ピカソは、彼自身が選んだ画題、またはモデルについて、全くぶれていない事を確認することが出来ます。(余談でした。)

2008/11/16

試写/映画『金糸雀(かなりや)は唄を忘れた』


先の投稿でもご紹介させていただいた映画『金糸雀は唄を忘れた』の監督(+編集・脚本)・赤羽健太郎氏が、我が家までお越しになられ、監督ご持参のPCとHDに収められた映像データを、僕が普段使用している22型ワイド液晶モニターへ送り、本日、ささやかな試写上映会が、近所に住む床絵美(この映画の出演者の一人であり、またその歌声を聞かせている)とその子供達、そしてカミさんも交え、拝見させていただきました。

僕は、スタッフの一人として、この映画制作に積極的に参加しわけではなく、たんなる「楽曲提供者」に過ぎませんので、今はここにやたらなことは書けません。批評、または感想は、この映画を見る鑑賞者一人一人に委ねたいと思います。
が、一言、野暮なことを書かせてもらうならば、もしこの映画をじっくりと味わいたいなら、鑑賞者の心は「静まりかえる」必要があります。しかしこれは、製作者サイドの不躾な要求ではなく、あらゆる芸術、「作品」というものに、触れるための基本的な態度というものでしょう。心が、静まり返らなければ、本来、モノは観えてはこないし、それは、隠された「告白」はしてくれないからです。

この映画『金糸雀(かなりや)は唄を忘れた』は、かなり抑制の効いた「編集」が施されていました。この「抑制」の利かせ方は、監督は30歳ですが、そこに監督の美学、美意識を感じることが出来ます。また、音楽の使い方、これを導入するタイミング、手さばきが、とても上品で、エレガントです。

「金糸雀は唄を忘れた」・・・。カナリアというのは、現代人である僕達を指すメタファーですが、僕達は、一体、「唄(inochi)」を取り戻すことが出来るのだろうか?
ただひとつ言える事は、監督であり人間・赤羽健太郎は、この映画作りの全工程によって、ようやく、あの「唄」を取り戻しつつあるのかもしれません。

2008/11/15

Yuta in Bronx


ユタ♂ at John's Run

最近のテレビ番組、ドラマ、CMなどは、軽はずみに、人間の心情面に訴えかけようとする作風、そんな類の演出または台詞が著しく増えたなあ〜と感じるのは僕だけでしょうか?
「繋がってる」とか、「ぼくがきみを守るから」とか、「(何々)・・・だから」とか、なんだろうね、「信じているから」とか・・・、いちいち言葉にせざるを得なくなったんだろうね。
僕などは、たぶん皆さんご存知なように、ニンゲンの「負の感情」というか、ネガテイブな局面を、その暗がりをかなりこまめに探索してきましたから、この21世紀という「感情の時代」について、・・・・いやまて、ユタについてすこし書こうと思っていたんだ。
ケモノはいいよなあ、自然体で。
余計な言葉、未来の不安というものを持たない完全無欠のシンプルライフ、そう「一張羅(イッチョウラ)」だよね。
僕らはたぶん余計なモノを持ちすぎてしまったのかもしれない。が、いわゆる自給自足生活をはじめるってのもなんだかちがう気がする。その理由は、たぶん長くなりそうなのでここには書きませんが、いま、じぶんの足元、眼前に広がる場所、此処で、つかめない者は、たぶんどこいっても、どんな暮らしぶりに変えても、ほんとうに確かなこと、死の恐怖を蹴飛ばしてしまうくらいの「生の横溢」や銀河即我々体験、もしくは「ん~、世界はマーヤ(幻想)だったのか、でもサイコーさ」などなど、けっして手にすることは出来ないでしょう。犬の姿形をとったユタは、そんなことを僕に言葉ではなしに「態度」で教えてくれました。
この表情、イイでしょう。犬だって、「人間」なんですよ。

2008/11/14

Daguar in Bronx


ダグア ♂ - at John's Run

・・・いちおう、アメリカの闘犬です。かなり強いです。
この「John's Run」という名のドッグランの親分でした。
うしろに見えますのはそのオーナー、アダム。男優ショーン・ペンのような気質の男でした。
写真を整理してたらほいっと出てきたので、気まぐれにアップしてみました。
(木製テーブルの上、タバコ箱の上になぜか(?)置かれたセルラーフォンの形がやや時代を物語っております。)

2008/10/31

NADiff modern(ナディッフ モダン)へ御越しください。

渋谷東急BunkamuraB1 『NADiff modern・ナディッフ モダン』にて
床絵美・千葉伸彦・リウカカント・海沼武史のCDがズラリと並ぶことになりました。
明日から、約一ヶ月間、各CDがそこで試聴できるようになっております。
お近くまで御越しの際には、ぜひお立ち寄りくだされ。(期間限定だよ~ん)





『NADiff modern・ナディッフ モダン』
〒150-8507 東京都渋谷区道玄坂2-24-1 東急BunkamuraB1 
TEL. 03-3477-9134
OPEN 10:00 - 21:00 / 無休
アクセス:JR山手線「渋谷駅」ハチ公口より、徒歩7分

2008/10/29

映画『金糸雀(かなりや)は唄を忘れた』予告編

伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞2007
短編の部・大賞受賞作品『金糸雀は唄を忘れた』 監督・脚本:赤羽健太郎
 -2008年11月22日(土)~23日(日)初公開-

床絵美 - 出演+唄
海沼武史 - 音楽


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映画『金糸雀(かなりや)は唄を忘れた』、この予告編だけでは、なかなか作品の「あらすじ」というものが見えてきませんが、監督は「あらすじ」を極力見えづらくしたかったのか、抽象度の高い「編集」をあえて選択したのか?この映画の物語、あらすじが明確にされても、それによりこの映像作品の価値が損なわれることはないだろうと、僕は勝手に独断し、監督の思惑は無視し、映画『金糸雀は唄を忘れた』のストーリーとは、唄を失った男女の「同行二人」、その旅の姿を描いたものです。二人の、自殺志願者の物語りです。しかし、監督が、こういった、ある種暗いテーマを選んだ由は、たぶん、いま、生きているという事、現代という、この世の中で生きるという事は一体どういうことなのか?という「問い」の深度にあり、ですから、この映画は決して「暗い」映画ではなく、「切実」な映画、ということになります。

映画『金糸雀は唄を忘れた』は、それを観るだろう人々に、「唄」を忘れたカナリアは死を選ぶしかないのか?と、問うわけです。
しかし、この「存在論的な問い」に答えられる人は居ないでしょう。
なぜなら、この「問い」への「答え」とは、いま、眼前に映る数多の人間、その誰か一人の「裸の生」によって、たえず示されてゆくものだからです。

新人監督・赤羽健太郎とは、ただ「誠実」であろうとしただけなのです。

2008/10/20

無防備な心の眺望 / Itasankata by Fukiko Goukon


先日、「第1回国際口琴フェスティバルin東京」出演のため、北海道釧路市阿寒湖アイヌコタンからお母様とお二人で上京していた郷右近富貴子さんのレコーデイングを、ここ裏高尾の「high tail studio」にて、お二人のタイトなスケジュールを調整していただき、ややチカラずくで敢行させてもらいました。
郷右近富貴子さんの唄声は、一度、阿寒湖にお邪魔した際に聴いており、もし機会あればレコーデイングしてみたいなと、うっすら考えていたわけです。

僕にとってレコーデイング、誰かをプロデユースするとは、写真の仕事、「撮影行為」に近いものがあります。決して片手間では出来ないことですし、一切、手は抜きませんが、一人でモノを作っているほうが気楽だなあと感じてしまうこと多々…ですね。アイヌの唄い手は、僕ら日本人とは違った感覚、自らの民族の唄について強烈な倫理感を内に秘めているので、まず、この心境について、十分に理解しておく必要があります。いや、理解しようとする息吹のようなものを持とうと絶えず心がけなかれば、そう安々とレコーデイングはさせてもらえないのです。

たぶん、僕が床絵美さんや、そのお母様である床みどりさん、郷右近富貴子さんの唄声を録音する事について、違和感を覚える方がいるかもしれない。「アイヌかぶれ」という、安易な了解で済ませてしまう方も……。僕がアイヌの唄にかかわっている理由を、単なる政治的、または「社会的・歴史的」意識の延長と想像する方もいるかもしれません。

かつて、わが国の政府によって「土人」と認定されたアイヌ民族が、じつは日本という島国の「先住民」であった、とか、こういった社会的・政治的議論、史実について、僕は(幾つかの理由により)まったく距離を置いています。また、このような「視点」につきものの「運動」に参加するような事も、まずないでしょう。これは僕が社会的な問題、または政治的な問題について無感覚、軽視しているということではなく、政治的または人種的な問題といって良いかも知れませんが、深くかかわりすぎれば、実際、モノがみえなくなる、「人間」が見えなくなるという、僕個人の体験的認識からよるものです。
(ああ、詰まらない、意味の無いことを書いてしまった。)



郷右近 富貴子:ボーカル   Fukiko Goukon : vocal

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ここに唄が在る。
ここに、無防備な意識が、心の光景が在る。
唄い手である彼女は、まるでその眼前に距離を喪失した暗闇が無限にひろがる断崖にて唄っているようでもある。
アニメ映画『ゲド戦記』の主題歌「テルーの唄」を唄った手嶌葵より非情な場所に、どうやら彼女は立っている。
心を支えるものを一切失った状態で、「唄だけ」が、「唄う事だけ」がその存在を支えているかのようである。

現代曲、現代の歌というものは、そのほとんどが「演技」でありましょう。
たとえば、絶品の歌唱力・表現力をもっていた美空ひばりの歌は演技であり、その楽曲はいわば一級の「工芸品」にすぎません。未知の領域を予感させるものなど一切含まれておりません。つまり「芸術」の領域まで及んでいなかったからです。
もちろん、歌とは、現代においては娯楽、慰めや感情移入のためのツールのひとつであり、そこに「芸術」云々を語るのはやや大袈裟すぎますが、アイヌの唄は、僕に限りなく「唄の原点」もしくは「唄の始原性」というものを想起させてくれます。そしてこの想起によって、僕がなにを得、なにを観たのかと言えば、この文明が矢継ぎ早に僕たちの五感を誘惑し、方向付けをし、見えなくさせていった「なにか」、数多の気晴らしの渦の中で見失ってしまった「someting great」です。そしてこれこそがアートの「真髄」であり、存在の謎に迫るための最後のチケットである、と。

かつてのアイヌの生活様式はうつくしい。そして、今なおアイヌの唄はすばらしい。それで日本の伝統芸能、日本の美学もすばらしい。そういうことです。

2008/10/15

カピウ ウポポ / Kapiw Upopo

こども、何人いるの?
二人、いるよ
どうやってあなた、食べさせるの?
私、盗んでも食べさせるよ
どうやって、あなた着せるの?
私、盗んでも着せるよ

How many children do you have?
I have two.
How do you feed them?
I feed them even by stealing.
How do you dress them?
I dress them even by stealing.


here・こちら

2008/10/05

シルヴィ・ギエム+土方 巽の友枝喜久夫ブレンド / moderndance

photo by Takeshi Kainuma

一昨日、日本橋劇場までカミさんと一緒に「第29回選抜新人舞踊公演」を見に行ってきました。
もちろん、僕が1990年に作った楽曲「the end park」を伊東由里というダンサーがどのような解釈をし、また振り付けをするのか、これを見るのが目的でありました。
でなければ、僕は振付家ではありませんので、わざわざ遠方まで“新人の舞台”を見に行かない。

その後、やや僕の内側でダンス熱が再燃し、再燃したところで、また「踊ろう」とは思いませんが、しばし考える事あり、インターネット上で記憶の再確認作業をしていたら、なんだかダンスについての啓蒙精神がふっと目覚め、とりあえず乱文覚悟で、この熱が覚めやらぬうちにすこし書いておきます。

単刀直入に結論だけ述べれば、21世紀のダンスとは、シルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem, 1965年2月25日 - )と土方巽(1928年3月9日 - 1986年1月21日)の一見大きく異なる2つのスタイルの高次ブレンド、それを能役者・友枝喜久夫 ブレンドと呼ぶことが出来ますが、そこら辺にしか無いように、若手の創作モダンダンスに久方ぶりに触れ、そう観じたのでした。

シルヴィ・ギエム、そして土方 巽は「天才」であり、まして友枝喜久夫翁に至っては「あの世とこの世を往来しながら」舞台上に見事な異次元空間を拓かせる才を掴み取った稀有の踊り手でしたから、僕がやんちゃに21世紀のダンサーの目指すべき場所は「シルヴィ・ギエム+土方巽の友枝ブレンド」なんて、「おいおい、中尾彬かっ!」って話ですよね。

まずシルヴィ・ギエムのダンスビデオを ここ で見てください。
そして、伝説の舞踏家・土方巽のビデオは ここ で見ることが出来ます。

たとえば、コンテンポラリーダンス、つまりモダンダンスや舞踏は難解であるという声をよく聞きますが、これは、観る側が「言葉によって意味を構築、解釈しようとする」からであります。
そもそもダンス、身体表現とは、言葉にならぬ「なにか」を身振りや手振りを交えて伝達しようとする行為、またはその延長にあるものに過ぎません。

書き文字を持とうとしなかった民族の踊りが非常にシンプルなもので、時として文明にやられた僕らの眼から見て、いわゆる「鑑賞」には堪えませんが、人間が書き言葉というもの手にし、編み出した後の文明、そこから生まれたダンス表現とは、「踊りたい」という僕らが本来的に有している原始本能はとうぜん変質を被りますし、またそのパッションは微妙に個別化され、意味の網目(一種の文明病)はより複雑なものに成ってゆきます。ですから、実際、ある舞踊作品を「理解」していると自覚(錯覚)しているのはその作品の振付家、もしくは演出家のみで、別に現代の舞踊、舞踏というものを、僕らが「理で解する」必要はまったく無いわけです。

ダンス表現が「難解」なのではなく、たぶん僕らが太古の時代に有していた共通の「条件」、広義な意味での共有しうる「法・根幹」というものを喪失し、人類が、そのほとんどが集合意識から個人意識へとシフトし、「孤独」という共有不能なそれぞれの個人的感情を、あの星空の元へ今なお昇華しえないがゆえの「離脱感」、それが一般の方々が感じられる「難解」という感想の因なのではないでしょうか。

伊東由里さんの「the end park」、彼女が付けたタイトルは「そして骸になりて」という、やや観念的なタイトルでしたが、人間が抱えてしまった「意味」の複雑な網目の裂け目からふっと垣間見えるあの「ヒカリ」にそっと手を伸ばそうとする、、、、人間的苦悩の限界を知る、その罠を本能的に知悉する者の身体表現でした。


p.s.苦悩と戯れる事を選び続けているある種誠実でもっとも優秀なダンサー+振付家ウィリアム・フォーサイスとピナ・バウシュのビデオは、こちら と こちら。よろしければ参考までにご覧下され。

2008/10/02

21世紀のワイルド・サイドとは?/ Walk On the Wild Side

昨日に引き続き Lou Reedネタですが、彼の1970年代の曲に「ワイルド・サイドを歩け」という洒落た作品があります。
ワイルド・サイド・・・? あの、歌舞伎町を歩けって事ではないですから。

ロックロック、ポップポップ、ラップラップ・・・って、実際は、ロックミュージックとはすでに1970年代に、すさまじい“高み”まで到達してしまったわけです。

パンク音楽(?)で一斉風靡したピストルズのジョニー・ライドンが、確か1980年後半(定かでない)、「ロックは死んだ」と嘯いていましたが、事の真相は、ロックまたはジャズは1970年代を霊的に駆け抜け、その使命を果たすことなく、つまりロックやフリージャズにそもそも始めから内在していた「あるもの」、その本来の理念を物象化することなく、世界をおごそかに変えることも無く、ただただ深い眠りに就いただけです。

ルー・リードの70年代の名曲「Take A Walk On The Wild Side」


そしてこちらは、したたかに生き延びたオトナなルー・リードの「ワイルド・サイドを歩け」。
さらにこちらは、オペラ歌手のパバロッテイと饗宴した際の「Perfect Day」という曲ですが、やや緊張のルー・リードと、いかにリハが不十分であるかが分ります。
それでこれは必見!各界の一流ミュージシャン、シンガー達が、ルーの「Perfect Day」を歌っています。特に、U2のボノが良かですたい。

ぜし、見ませう。

そして、21世紀のワイルド・サイドを各自、歩きませんか?

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 p.s.アイヌの唄に内在している「あるもの」・・・。
    いつ、その「眠り」から目覚めるのだろう?

2008/10/01

ルー・リードに花を ・・・。/ Lou Reed's Berlin


昨夜、ちょろっとネットサーフィンしていたら、思わぬ人がある「映画」に出演していることを知り、懐かしさのあまり、すこし書きます。
その人とは、ロックミュージシャンのルー・リード(Lou Reed)

2007年度のカンヌ映画祭で監督賞をとった「潜水服は蝶の夢を見る」の監督(元画家)ジュリアン・シュナーベルの新作「Lou Reed's Berlin 」というドキュメンタリー映画に堂々出演していたのです。

監督であるジュリアン・シュナーベルについては、彼が監督業にシフトする前の職業、まあるい白地のお皿の破片をどでかいキャンバスにべたべたくっつけた作品、当時はジャン=ミシェル・バスキアと共にソーホーのギャラリー街を絵描きのふりして大見得切っていた頃の印象しか無く、またそれゆえ、彼が絵描きから映画監督に転業した事実も、「身からさびが出る前の保身術」ていど、まったく興味がもてず、「相変わらずいいかげんなヤローだな」と、まだ1本も彼の映画を見ていないというのが実情でありますが、が、彼が、あ、、あの、ルー・リードを・・・おもろー。

ルー・リードの音楽に心酔していたのはもう随分遠い話、高校生の頃だから今から26、いや28,9年前の事となります。当時の僕のヒーローはドアーズのジム・モリソンであり、ルー・リードであり、ジミ・ヘンドリックス・・・。
そして今にしてふと想うーーー。かれらに共通していたことは何だったのだろうか?と。
それはたぶん、ただひとつーーー。
皆、なにかを、狂おしいまで、信じていたという事です。

僕はすでにかれらの音楽を必要としていませんが、年若い頃に、かれらの音楽と出会えたことは、もう「決定的」だったような気が今さらながらにするのです。

p.s.ルー・リードの超イキでニューヨークなweb、興味のある方はこちらまで。


photo by Takeshi Kainuma

2008/09/28

床絵美 ライブインフォ / Toko Emi Live Info vol.3



アイヌの叙事詩ユーカラを語るという、東京の詩人の方と知り合い、「トゥーマイ」で共演することになりました。
(当日は北海道旭川の川村兼一さんのお話もあり)

カムイユカラは動物の神が自らを語るという形をとったお話で、沢山の教訓や教えが含まれています。
独特のリズムに乗せて謡われる物語の世界とウポポ、そしてお話を是非聞きに来て下さい。
                                   
Toko Emi 



『かむい語り』 2008年10月17日(金)

開場 17:00  開演 18:30~21:00
前売り 2000円  当日 2500円
場所 トゥーマイ (予約・問合せ先)

参加者:川村兼一 (トーク・合唱劇「カネト」を語る)
      床絵美 (ウポポ・唄)
      港敦子 (ユカラ・語り)

主催:Project for VOICES
協賛:ピリカ関東


Illustrated by Tsukushi

2008/09/22

福岡正信の生 / Masanobu Fukuoka

福岡正信・・・翁が逝かれた。

昨夜、ネットサーフィン(?)をしていたカミさんから伝えられた。
「いつ?」
「先月、8月の16日だって・・・」

福岡さんとは一度だけ、お会いしたことがある。
ニューヨークでの8年近くの暮らしをあとにし、日本での生活をはじめたばかりの頃だから、4~5年前の事か・・・。
福岡さんのご自宅、愛媛県伊予市まで、「断られたっていいさ、畑をちらっと見せてもらうだけでもいいじゃん」と、カミさんをそそのかし、その頃はまだ生きていた犬のユタも連れ、アポなし強行、車を走らせ会いに行った。

福岡正信という人物を知ったのは、これまたカミさんがたまたままニューヨークのブックオフで見つけてきた本からだ。
『わら一本の革命』(春秋社)という1970年代の匂いがぷんぷんする装丁とタイトルをもった書籍。
当時、農業にまったく興味のなかった僕は(今もさほどないが…)、「ふーん」って感じで手にすることもなかった。
やがて、カミさんは福岡さんの著作につよい興味を覚え、マンハッタン在住の日本人にとっては憩いの場、そう、紀伊国屋ニューヨーク支店で『自然に還る』(春秋社)というカラー写真付のインタビュー集という体裁をもった本を購入してきた。
ちらりその本の扉をひらけば、菜の花に囲まれた福岡さんのポートレイトが…。大地からにょきっとその姿を惜しげもなく現した、やんちゃなフォルムをもった、まるでオッカサンのような大根の横に、やんわり腰を降ろす福岡正信が、そこに在った。“自然農園の風景と著者近影”というキャプションが付されていた。

只者ではなかった。
合気道創始者、植芝盛平さんの事を、ふっと思い浮かべた。
早速、読み始めた。
読破し、腰を抜かした。
まるで、ソクラテスの生まれ変わりのような人物が、いわば「百姓のソクラテス」ような人がまだ生きて、この世に存在している、この時間を共有しているという事実にただただ驚愕した。
突如「お会いしたい!」と、念った。
翁は、すでに高齢であられたので、“肉体”という何かと不自由な衣を脱ぎ捨ててしまう前に「早く会いに行かねば」と、こころが騒いだ。

愛媛県のご自宅を訪ね、玄関のブザーを鳴らすと、感じの良い、凛とした50~60代の女性(福岡さんの息子さんの奥さん)が出てきた。その眼が、どこか警戒しているようでもあり、これから面接を受けるのだなと感じ、僕は速やかに緊張した。
用件をしどろもどろ話した。
じっと、こちらの眼を逃さず聞き入る女性。
唐突に許可がでた。「裏に回ってください」と。
裏に回った。
さて、これからどうすれば良いのやら、とりあえず、指示された場所の窓に向かって「福岡さーん!」などと声をかけてみた。
しばらくして、福岡さんの声が上がった。


昨夜、カミさんから福岡さんの死を知らされた際には、茫然と、そして動揺し、僕の得技でもある「悲劇的な気分」にどっぷり浸かり、言葉にできぬ感情は溢れ、ただ「無念」の一語が…、明けて僕をこのブログに向かわせている。が、なんだろう、本日東京裏高尾は物悲しい雨がしとしと降り続くという死者を悼むには出来すぎの状況であるにもかかわらず、僕を感傷的な気分、つまり広義な意味での自己撞着、または厳密な意味での自己憐憫の輪の内へ向かわせようとはしない「なにか」が、今、動きはじめている。

福岡さんの農法は、翁が言うように、かつての百姓(百の姓をもつ者の意)が皆知っていた「古の農法」であり、矛盾するようだが、もっとも新しい原始農法なのでしょう。(人間の身体の根本的な仕組み、機能、この生理的現象、または寿命百年ぐらいという限界組織が突然変異でもしない限り。)
そして彼の思想、哲理もまた、古くからあり、また、それが万人にとって開かれているにもかかわらず、今だ習得・体得しえた者がわずか、という意味においてもっとも新しいものなのでしょう。


福岡さんが寝起きしているその場所、部屋で、ちょっと足を崩させてもらい、なんだあかんだあ~と話し込んでいるうちに1時間は過ぎ、「これ舐めるか?」と、人工化学調味料100%の飴玉を渡され、ふと小さなテーブルに目をやれば缶コーヒーが…。エコだ有機農法だ自然破壊だあと頭一杯になっている人々からすれば「おやまー」と思われる言動が、物がときおり散見しうる自然農法の祖・福岡正信さんのアトリエ兼寝床において、当時、着手なされていた書の作品、ロール半紙に描かれた「いろは歌」の一部を、僕は不遜にも「これ、いただいてもいいですか?」とお願いし、やがて愚痴っぽくなってきた翁を前に、「福岡さんはもう“花咲か爺さん”になるしかないでしょう!」などと、若輩の想いを伝え・・・。
あれほど、自然を前にして「無邪気」でありえた福岡さんも、ニンゲンを前にしては容赦しなかった。容赦できなかった。
あの途轍もない無邪気さをもった稀有な人が「頑固さ」さだけは生涯手放せなかった。


福岡さんの晩年のビデオ、No.1~6まであり、延べにして60分近くありますが、興味のある方は自然農法60年の歩み「粘土団子世界の旅」1/6 をクリック。

福岡正信翁の死 その生……
すべて あっぱれ ゆえ
お悔やみは申し上げません

2008/09/13

第29回選抜新人舞踊公演


2008年10月3日(金)
開場 18:00   開演 18:30
日本橋劇場(日本橋公会堂4階)
全自由席 ¥2,500

ある日、「・・・コンテンポラリーダンスをやっているものです。実は私の作品の音楽に、海沼さんの”the end park"という曲を使わせていただきたいのですが・・・」というメールをいただきました。
the end park、これは僕が20代の頃に発表した自主制作CD『時空の破片』に収録された一楽曲なのですが、はじめは「え?どこで聞いたの?見つけたの?」と、なにやら懐かしいような、不思議な・・・。
the end park、これは、ダンス曲として作られた音楽ではありませんから、すこし(いや、かなり)興味を持ちましたが、「ひどい扱いされたらどうしよう?」という、正直、そんな気持ちもあります。

モダンダンスといえば、僕はもう手放しでイサドラ・ダンカンニジンスキー、ですが、最近は頓にダンスとは無縁の生活、舞うことも、人の舞踊を観に往くこともまったく無くなっていたので、これは良い機会だと思い、また「”the end park"をどう解釈するんだろう?」と、さらにその日が僕の誕生日であるという何やら因縁めいたものを感じ、今回は、ぜひ”伊東由里”という方の舞踊を観に往きたいと思っているのです。

これは余談ですが、僕が最後に観た舞踊とは、モーリス・ベジャールの「ボレロ」。それも今から22年前のニューヨーク、ジョルジュ・ドンの「ボレロ」です。
熟れきった肉付きの良い果実が、あのヨーロッパの栄光が、崖っぷちで、今まさに眼の前でその終わりを告げようとする戦慄ボレロ、そんな印象を受けましたね。

ダンス、観ませんか?

2008/08/20

印刷物02 -printed matter-




SONY China Cyber-shot/DSC-H50 & DSC-W300 によるお仕事の写真

ぼくの「写真」のようには見えないという人がいるかもしれませんが、コマーシャルワークの圧倒的な醍醐味とは、さまざまな美的センス、美感渦巻く真っ只中での「待ったなし!」の緊張感と、ADやデザイナーさんの母性的または父性的なまなざしの元、さらにはアカウンター、その共同作業の劇的なドラマの内にあると思っています。
こういった現場内でのドラマは、なかなかプライベートワークでは得がたいもので、そこから産み落とされる写真、作品は、ほんらいプライベートによる仕事、作品を(原理原則的に考えれば)凌駕しなけらばならないはずですが、なかなか・・・。
クライアントの美感、というものが大きな関門として、「感覚の徒」であるぼくたちの最後部または最前列に立ちはだかっているわけです。
が、このデジタルカメラ2機種はかなり贅沢な「作品」でした。

写真:海沼武史

『Riwkakant / リウカカント』のブロウシュア / Riwkakant-brochure



Riwkakant(リウカカント)1st-『RIWKAKANT』の原曲説明です。

2008/08/15

海沼武史の音楽・全仕事(MusicWorks by Takeshi Kainuma)



もう長い間、さまざまな音の世界を旅してきた。
そしていつ、ぼくはこの旅の途上にて、「さよなら」というコトバを洩らしてしまうのか、いまだ不明のまま、この星の激烈な変動を予感しながら、その一旦を、皆様に試聴していただければと思い、倉庫に眠らせつづけていた音という手にしえない光の塊を、すこし公開させていただきます。


*ご覧になりたい方はこちらより。

2008/07/26

2008/07/07

Riwkakant リウカカント / Key of Life

1985年、英米のロック・ソウル・ジャズ等のスター約50名による「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」の『サン・シティ』(Sun City)というシングルが発売された。参加者はスティーヴ・ヴァン・ザント(提唱者、Eストリートバンドメンバー)、マイルス・デイヴィス、ブルース・スプリングスティーン、ピーター・ギャレット、ボノ、ルー・リード等。この企画に参加したアーティスト達は「I Ain't Gonna Play SUN CITY(サンシティなんかで演奏するもんか!)」と声高に唄った。
1985年、アメリカで発売された歌『ウィ・アー・ザ・ワールド』(We Are The World)は、著名なアーティストがUSAフォー・アフリカとして集結して完成させた。イギリスで活躍するミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発されてアフリカの貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングで、作曲作詞はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー。


この「Key of Lifeという曲は、上記の2種の欧米歌に対する挑戦状(?)、いえいえ、ささやかなひとつのレスなのです。

Toko Emi : vocal,chorus and vocal arrange
Takeshi Kainuma : music
(guest vocal and chorus : neighborhood)


*試聴されたい方はこちら・hereより。

2008/07/01

Takeshi Kainuma / kalif


~the pianoscape across the historical code~

 唄 vocal: 床みどり Toko Midori
 音 music : 海沼武史 Takeshi Kainuma

動画について / film? movie? picture? explanation?

基本的に、音楽にとって「画」は必要ではない、その目を瞑って聴いていただくか、積極的にはなにも見ずに聴きいてもらうのが一番であると、ぼくは思っています。

年恰好も性別もそれぞれ違う、ちがう音色をはなつリスナー方の、自由なイメージの誘発を、ある停止画像、「写真」によって、またはその重ね着、動く映像、「動画」によって、限定したり、邪魔してはいけない、と。
音楽それ自体が、イメージの喚起力をその音の粒粒の内側に秘めているのだから、さらにはイメージの遊戯を禁じる音群を構成することも可能なんだから・・・。

写真にとって、キャプションやBGMが不要であるように、音楽にとって、原理的に映像は無用、ぼくは元来そう考えていた者です。が、最近、「音楽のための動画」をアップし続けています。これは自らの信念の裏切りではないのか? しかしこれについて、2、3、理由があるのです。

動画編集をやや真面目にはじめて15日間。
ぼくは「コンサート」という人前生演奏をやりませんから、これもすべて音楽をすこしでも多くの方々に聴いていただきたいため。。。
「時代感性(ムード)」に合わせたところで、その楽曲の価値が低下するはずもなし。

ところで、ぼくが動画編集のために使っていたソフトは無料お試しダウンロード15日間有効の「Corel VideoStudio 12」というもので、本日をもってこのソフトも使えなくなります。「じゃあ、買えよ!」って話ですが、どうしましょう?


迷うところなのだ。

2008/06/26

2008/06/14

LIVE Info 「先住民族サミット」アイヌモシリ2008

2008.7/1~7/4

北海道~二風谷・札幌にてG8首脳会議に先立ち、「先住民族サミット」アイヌモシリ2008が開催されます。
http://www.ainumosir2008.com/program4.html


つい最近、アイヌが日本の先住民族だと認定され
私は新聞記事でその事を知り、胸が熱くなり
北海道へ飛んで行きたくなりました。

私も唄いたい。

すべての日程は参加できませんが
サミット最終日7/4の音楽祭に出演することになりました。
短時間ですが、心を込めて唄いたいと思います。

7月4日(金)in 札幌コンベンションセンター
13:30~17:00 全体会「先住民族宣言」
18:00~21:00 音楽祭・交流会(入場無料)

photo by Takeshi Kainuma