〜写真とは意識のドキュメント〜
量子力学における観測者効果とは、物質や現象は観測者に依存している、観測者の影響下にあるという仮説ですが、もっと詳細に調べると、物理的な現象はすべて観測者の意識、思考内容や信念などに依存していることが分かります。
では、この意識そのものを観察することは可能なのか?
これは内観または自己観照と呼ばれていますが、
この内観、自己観照を通じての意識へのアプローチ、
"知覚の扉が清められたなら、物事はありのままに、
意識を観察し、その意識の始まり、源泉へ赴こうとする試みは、
身体、自分の肉体の原因は物理的な空間に現れた両親ですが、
意識が、意識として自らを確認するためには「対象」
たぶん、あらゆる創生の根源的な答えは、
なんだか話が込み入って来ましたが、
自分がこの世界に産まれた、という夢なのか現実なのか、
"時よ止まれ、お前は美しい!"(ファウスト)
人間は死ぬために生まれて来たのか?
宇宙は偶然にもビックバンによって生じたのか?
この20世紀に現れた仮説がもし真実ならば、
真理とは、愛(神)と同義語なので、死やビックバンの受容は「
ビックバン、天地創造、そして死……。
環境により刷り込まれた通説、常識とされているモノの考え方、
真理は、深い歓びと絶対的幸福をもたらす。
これは古今東西の覚者と呼ばれた、時間や空間の圏外へと出た(?
定常宇宙論、そしてビックバン理論とは、
"僕はいったい僕のことをなぜ僕と考えるのか?"
死を認知し得るのは五感、身体に依存した知覚によります。
では、人間はこの世界に誕生し、何かに「気づく」
もしこの時空間の法則がよく出来た精妙な「夢」の骨組み、
胡蝶の夢ー。
蝶と自分の境目が消え、蝶は自分の1部となり、
「世界は夢である」というこの覚者の認識を阻むんでいるのは、
では、この世界と同様にこの自分も夢だとしましょう。
たぶん数多の宗教上の、
写真家にとって撮影するとは、帰還の旅であり、
写真、撮影とは手段のひとつであり、
たぶん生存の唯一の、究極の目的とは、知覚や意識を利用し、
なぜなら、真理とは、僕たちの唯一の、共通の、
意識とは、故郷忘却、
芸術作品とは、真理からの贈り物なのです。
Mehr Licht !
(と、何やら僕ではない誰か別の僕が書いているなぁ……。)
まさに世界とは意識のドキュメント。