〜西行について〜
12世紀の歌僧として有名な西行の辞世の句に「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」というのがありますが、「虚空ノ如クナル心ノ上ニオイテ、種々ノ風情ヲ色ドルト云ヘドモ更ニ証跡ナシ」と断じている者の心、証跡ナシとは、現象世界(種々の風情)が確かに実在している証拠となる痕跡はないのだと。そんな彼の眼差しから出た言葉であることを踏まえて先の句の内に入ってゆくと、この和歌の裏側の西行は全く子供のような無邪気さと笑いに包まれている姿が見えて来ます。つまり、真面目さを気取りながらも、そこには彼特有の輝くようなユーモアが。
西行は、四季折々の風情を詠んだ歌人として知られていますが、「自分が歌を詠むのは、遥かに尋常とは異なっている」という明恵上人に洩らしたこの言葉、この感慨には、この世界の全ての現象、事象は移り変わり、そこに恒常不変なるものはないと言う空観(emptiness)があるようです。
では、なぜ歌を詠むのか?それは花や雪、月という無常なる対象を通して不滅なるモノや事を歌の中で、歌を通して甦らせようとしたからです。なぜか?歌うことが、まさに彼にとって至福の瞬間だったから。
僕が西行をとても身近に感じるのは、たぶん同じような視座を持って写真に取り組んで来たからかも知れません。
西行とは、この世に生きる、表現者ならば当然のこと、あらゆる人間がやがて通らざるを得ない天上の歌が遍満する欄干のない橋だと思います。
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