今朝、2冊の写真集のデザインおよびレイアウトをお願いしたカミさんであるアーチストの築紫に「ちなみに作業はどのくらいまで進んでいるの?」と訊ねたら「ん〜、8割ぐらいかなぁ」と。
彼女とはもう30年以上暮らしているが、ときおり大喧嘩をする。
大喧嘩と言っても、物が飛び交うような派手なものではなく、互いの言い分をその場の昂った熱い雰囲気に乗せて交互に言い合う絶叫系で、どうしても「どっちが悪いのだ?」に終始する。まさに傍聴人のいないお茶の間裁判。
「で、何部ぐらい刷れそう?」
「70部ぐらいかな〜」
今回の写真集のアイデアが瞬いた時、「50部、世に出せたらもう充分。いやいや、30部でも御の字、有り難いこと。この世界に30冊しかない写真集、なんかカッコええ」と、そんな風に考えていたし、「もしお金が集まらなければ写真集にする必要は無いってことだしな。まして友人や知人らに求められもしない、その心に望まれもしない写真集なんか出してもしょうがない」なんて、今までの僕からすればアリエヘン感情が、思いも寄らぬ考えが起こっていた。「でも、編集作業の方は、今回写真集が出るにせよ出ないにせよ、これを機に完結させないとな!」
ちなみに、自分の音楽や写真にまつわることで、誰かにものを頼まざるを得ない時は、いつもハラハラドキドキする。あ、音楽制作に関しては今のところ全て自分1人でこなせる枠内にあるので、誰かに何かをお願いすることは無いが、写真の事となると、たとえば写真展の際に画廊や会場側がDMを用意できない場合は、いつも築紫にデザインをお願いしている。で、なぜか、必ず1度は喧嘩となる。で、今回はすでに2度ばかり……。
昔、美意識高い系という言葉が流行ったが、たぶん僕の友人たちは僕について「美意識高い系の完璧主義者」と思っているんでしょうね。
でも、本当は「失敗したってイイじゃん。やるだけやったら肩叩き合いじゃね?基本はさ」なんだけど。
仕事から戻ると、築紫から「ちょっと表紙のデザイン案、見てよ」と言われ、また危うく口論が勃発しそうになったが、さすがにお互いの感情パターンに乗らずに済んだ。
いや、喧嘩したってイイじゃん。ゼェゼェハーハーしたってイイじゃん。すべてがスマートに丸く治まるなんてことはなかなかこの世界ではあり得ないし、上部の仲良しこよしよりハートのシンクロの方が素敵。と、今日は子供っぽい文章となりました。
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