2024/09/02

写真集のメイキングレポート⑨

 

引き続き、写真集のための写真の並べ方、編集について書きますが、そもそも編集とは、肝心の1枚1枚の写真に力が無ければ、いくらどう並べ替えたところであまり実りはないです。

写真集のための編集作業とは、あくまでも1枚1枚の写真を丁寧に選び抜き、どのような展開、ページめくりをすれば撮影者の世界観が読者により伝わり易くなるのか、ここが肝心なところです。
1枚1枚の写真のトーン、感情、音色を読み、数珠玉のように繋いで、そこから生まれるハーモニーに乗り、時に切断し、これはリズムとなり、ある一定の緊張感を保ちながら、それぞれの写像が無意味な潰し合いをしないよう見守り、偶然性には心開き、そこに直感を呼び込み、遊び心やユーモアも大事にする。そして総体として、あまり押し付けがましくならないようにその写真家の歩みを描くことに、その醍醐味はあります。
ただし、こういった写真集、編集の嗜好性は、僕の好みと言えば好みなのです。


たとえば、写真編集の妙技と言いますか、僕が今まで腐るほど見た様々の写真家たちの写真集の中で1番「見事だな〜」と感じたのは、ロバート・フランクの『アメリカ人 "Les Americains" 』(1958年)ですが、フランクの写真表現自体は、私的な物語り性を濃厚に帯びてしまうので、僕の写真表現のスタイルとは異なります。

僕がいわゆる写真を使っての物語り、物語性にあまり興味がないのは、人類はそれこそ天文学的な数の物語をすでに持っているという歴史的事実と、物語りは時間の存在を容認してはじめて成立するという物語の条件についてやや違和感を持っているからです。


写真とは一瞬の出来事の記録、表現なので、この一瞬、刹那とは、〈永遠〉を開示しうる唯一の時間となります。写真は映画と違い、過去から未来へと経過する横軸の時間を切断する「斬り込み」を可能とするメディアなので、瞬間と瞬間を繋ぎ、時間経過があるように見せかけつつ、目指すべきは〈永遠〉であり、これを垣間見せる瞬間を写真は提示できると考えるからなのです。

あ、もちろん物語りの内に〈永遠〉がよぎる瞬間はあります。

 


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